十勝組 1999年の法話

(1999年6月~12月)


(法話タイトル) (地域) (所属寺) (氏名) (年・月)
「肉や魚、野菜が阿弥陀さま」 新得町 新泉寺 高久教仁 1999.6
.「一枚の香典袋から」 清水町 妙覚寺 脇谷暁融 1999.6
.「自分こそ‥‥」 中札内村 真光寺 桃井浩純 1999.7
「出遇い」 幕別町 義教寺 梅原了圓 1999.7
.「お盆に思う」 音更町 西然寺 白木幸久 1999.8
.「人それぞれの人生」 音更町 浄信寺 御幸誓見 1999.8
.「仏さまに手を合わせる心」 帯広市 勝興寺 小澤眞了 1999.10
.「いない・いない・バァー」 芽室町 願恵寺 藤原昇典 1999.10
.「本当に安心できる道」 音更町 妙法寺 石田秀誠 1999.11
.「生死の苦海」 鹿追町 玄誓寺 上本周司 1999.11
.「南方仏教に伝わる“子どもの五つの責任”」 音更町 報徳寺 佐藤誠 1999.12
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肉や魚、野菜が阿弥陀さま

新得町 新泉寺 高久教仁 (1999年6月前半)
 私たちが信仰している仏さまは阿弥陀如来です。

 阿弥陀さまは、一切私に注文をつけられません。「賢い人間になれ、うそをつくな、殺生をするな、酒を呑むな」と、そのようなことが出来ない私であることを知り抜いて「そのままでよいから弥陀に任せよ、弥陀をたのめ」と、いつも私を呼びかけて下さっています。

 しかしながら私は、中々その呼び声が信じられません。

 私の世界は

「私がこれだけのことをしたのだから、これだけのものが返ってくるはずだ。私がこれだけのことをしてあげたのだから、あなたは私にお礼を言うべきだ。私の言うことに従うならこれだけのことをして上げよう。」

 というように、「して上げた」とか「して上げる」とか、自分の力で他のものを支えてやっている顔をしているのが私です。見返りのないことを進んで行うことのない私です。

 実はこの私も阿弥陀さまの救いや恵みにどっぷりと浸かって生活をさせて頂いているのです。ただ、そのことに気がつかないで居るだけなのです。見返りを求めることなく私を支えてくれているものが、身の回りに沢山あることでしょう。

 スーパーマーケットに買い物に行って、肉や魚、野菜を買う時に、店員には「ありがとう」とお礼を言いますが。買った食べ物に「ありがとう」とお礼を言う人がいるでしょうか?

 一般に私達の世界では、お金を通してものを求めていますが、私たちに生命[いのち]を投げだす食べ物たちには一銭のお金も入りません。それどころか、不平も言わずに私たちの血となり、肉となり、いのちとなって下さるのです。

 私たち日本人の食前の言葉である「いただきます」には、その上に「あなたの生命[いのち]を」という言葉がかくれています。この言葉には、食べ物の生命[いのち]に対する私たちの謝罪とお礼が込められています。「めしを食う」のではなく「ご飯を頂戴する」心なのです。

 私が気が付こうが気が付くまいが、常に私を支えて見守ってくださっている方が阿弥陀さまです。いま私の目の前にある肉や魚、野菜こそが阿弥陀さまであります。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
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.一枚の香典袋から

清水町 妙覚寺 脇谷暁融 (1999年6月後半)
 みなさん、こんにちは。6月となり、それぞれが短い十勝の夏を忙しくすごしておられるのではないでしょうか。

 さて、今回は、普段の暮らしの中からお話しさせていただきたいと思います。

 どこ町でも、街々の角には昔から小売店がありました。雑貨屋さんであったり酒屋さんであったり、魚屋さんであることもありました。いまはもう見かけなくなった氷屋さんというのもありました。現在はすでに大きなスーパーかコンビニエンスストアと呼ばれる現代の雑貨屋さんがそれらにとって変わりました。皆さんも買い物はスーパーやコンビニエンスストアなどに行かれることと思います。

 コンビニエンスストアは略してコンビニと呼ばれ、どちらかと言えば若い人が時間を問わず溢れております。その普段の暮らしの中の風景を、女流歌人の俵万智[たわら-まち]さんは、
死というは日用品の中にあり、コンビニで買う香典袋
と歌われました。

 普段の暮らしの中で、私たちは、「死」というものに、人が亡くなっていくということに、昔ほど密接に関わらなくなってしまいました。せいぜい町内会の関係か親戚・身内の葬儀に出席する程度のものになってしまいました。ましてや自分自身の死というものは漠然とは浮かんでもあえて避けて通るようになったのではないでしょうか。私は、この歌をそうした現在の私たち自身の姿を悲しむように、皮肉[ひにく]るように歌われていると受け取りました。

 さて、私自身にとって「死」とは何でしょうか。ただ辛いこと、嫌なこと、できれば避けて通りたいことにしてしまってはいませんか。

 「自分もいつかは死ぬ」ではなくて、今一度、「自分が死んでいく」という事実を、一枚の香典袋から考えてみましょう。
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.自分「こそ」‥‥

中札内村 真光寺 桃井浩純 (1999年07月前半)
 私は、人間は齢[とし]をとるほどに、円満で、穏やかになるだろうと・・・・。そして、柔軟でやさしく、物わかりがよくなっていくものだと思っておりました。また、そうなりたいとも思っておりました。

 ところが、お聖教に「凡夫というは無明煩悩[むみょうぼんのう]、我等[われら]が身に満ちて、欲も多く、怒り、腹立ち、そねみ嫉[ねた]む心多く、暇[ひま]無くして」とあり、しかも「臨終の一念に至るまで留まらず、消えず絶えず」と聞かされ、命たえるまで煩悩を持ち続けていかねばならないということを味合わせていただきました。

 「凡夫」というのは、この弱い私のことであり、「悪人」とは、縁があったならどんなことでもする私のことを指すのです。このことは、今までの私の念い、願い、生きざま等を根底からくつがえすほどのできごとでした。仏さまの物差しは、ずいぶん思い上がっていた私であったということを気づかせてくださいました。

 先日、ある方が「母親と妻の間にいるのも大変ですよ。右を向いて頷き、左を向いて頷き、間にいる私が我慢しておれば、どうにか家の中が収まっているのですがねぇ」と言われました。我慢すること、辛抱することは良いことですが、少しでも情勢が変わってくると、私だけではない。母親も、妻も、それぞれが自分ほど我慢して、辛抱している人はいない。自分こそが一番我慢、辛抱しているのだと・・・・・・となります、質の悪い人間の部類になってしまいます。

 山陰の妙好人の源左[げんざ]さんがおもしろいことを言っておられます。
「人間は、こそを自分の方へ集めたがる生き方をしがちだ。このこそを相手にみなあげてしまう生き方をすれば、気が楽に生きられる。嫁がしっかり家を守ってくれればこそという風にだ。このこそを必要以上に自分の方へ集めたがる人をこそ泥というだぞ。」
 こそ泥とは、こそをみな自分の方に盗んでしまう人のことかと感心させられました。

 みなさんは、こそをみな相手に差しあげて、楽な気持ちで生活をさせていただきましょう。
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出遇い

幕別町 義教寺 梅原了圓 (1999年7月後半)
 私たちは、縁あって人として命をいただき、後戻りすることの出来ない時の流れに人生を歩ませていただいております。

 その歩みの中では、いろいろな「出遇い」[であい]があり、そしてまた、「別れ」があったりと、避けることの出来ない現実の中に生活しております。

 ある標語に、
 親に会いながら親を見ず、  子に会いながら子を知らず
という言葉が書かれてありました。この言葉を見た時、私[わたくし]は、人生のすべての「出遇い」に対して語りかけているように聞こえました。

 「出遇い」の人生、それは、父母を初め多くの人々、また、一輪の花を初め生きとし生けるすべての命、そして、宗教・社会・自然等、さまざまな出遇いをいただいて歩んでおります。

 ただ、その出遇い一つ一つを、どのように受けとめているのかと自分自身に問い尋ねた時、「ただ何んとなく」と受けとめて、時間を過ごしてしまっています。

  標語にも語られているように、何ものに対しても「会いながら見ず、会いながら知らず」と自らにその言葉が返ってきます。そして、そのいろいろな出来事との出遇いに対しては、「自分にとって」という思いが先に立って、自己中心の心の中にしか、この身をおいていない自分に気づかされてます。

 相続され、生かされてある命を、「我が命」、「我が人生」と自己所有物化してしまいがちです。

 「我」[われ]という世界は、その思いが強まれば強まるほど、自らを見えなくし、他の命をも見えなくしてしまいます。自己中心の世界でしか受けとめることの出来ない自分である限り、その「出遇い」が、どんなに大切で尊いものかを知ることが出来ないのです。

 しかしながら、そのような私に対して、仏さまは「慚愧[ざんき]あるが故に、父母、兄弟、姉妹あり」とお示しになっておられます。

 み教えに出遇い、我身[わがみ]の姿に気づかされ、心より自らに恥じ、他に対して恥じ入る時、初めて親に会い、子に会い、友に会い、そして、すべての「出遇い」を大切で尊いものといただくことが出来るのではないでしょうか。

 私がここに「出遇い」というお話をさせていただくご縁となりましたのは、浄土真宗のみ教え[みおしえ]に遇い、お念仏を心から歓[よろこ]ばれた方々との「別れ」という、何事にもかえがたい「出遇い」をいただいたからこそです。

 「出遇い」、それは、人生を導いてくださいます。感謝申し上げずにはおられません。自らにあってみ教えにあい尋ね、お念仏を心の依り処として、歩ませていただきたいと願う次第です。
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.お盆に思う

音更町 西然寺 白木幸久 (1999年8月前半)
 北海道では、8月がお盆の季節。お寺にとっては、いちばんにぎやかな時期です。若い人たちもたくさんのお供えを持って、お参りに来てくださいます。

 しかしながら、お盆といえば、ご先祖さまの「霊」をお迎えして、丁重にもてなし、供養するための行事と考えている人も多いのではないでしょうか。

 お盆の由来からいえば、これは少し、筋違いではないかと思われます。

 お盆とは、お釈迦さまのお弟子であった、目連といういう方の母親にまつわるお話が、もとになっています。

 死後の世界で、苦しんでいるお母さんを見て、目連さまは食べ物を与え、お救いしようとします。しかし、与える食べ物はたちまちに消え、救うことができませんでした。そこで、お釈迦さまの仰せにしたがって、お坊さんたちに供養のごちそうをしたところ、初めてお母さんは救われたと、お経には記されています。

 大切な方、かけがえのない方を失って、心に大きな空白が広がっていますと、せめてお盆だけでも還[かえ]ってきてほしい、と願うのも無理はありません。しかし、亡き人は仏さまとなって、いつでも、どこでも、常に私の身に添うように働いて、導いてくださっているのです。

 お盆は、仏法に出会う、よい機会です。ご先祖さまへの思いから、仏法を聞くご縁に恵まれたとき、こんな私も仏さまのお力によって、救われていく身であることを、思い知ることができるのです。確かな依りどころをいただくことで、私に課せられた人生を、最後まで歩ませていただこうではありませんか。

 ところで、ベストセラーとなった『五体不満足』という本をお読みになりましたか。手足のない23歳の青年、乙武[おとたけ]くんが写った表紙の写真を見ますと、正直いって、ぎょっとしてしまいます。それだけで、「かわいそうな人」、「不幸な人」と思ってしまうかもしれません。

 しかし、本人は障害があることでもって、「自分はかわいそうで、不幸な人だ」とはまったく思っていません。

 たしかに、障害があることは生活していく上で“不便”でしょうが、だからといって“不幸”とは限らないのです。それどころか、障害を持って生まれたにもかかわらず、生まれてきたこと・生きていることに感謝し、自分に誇りを持ち、与えられた命を精いっぱい活かして、生きていこうとしています。

 いま日本では、ますます高齢化が進み、長生きするお年寄りが増えています。長生きすればするほど、この身が病気がちになり、あるいは不自由になり、しまいには寝たきりになってしまうかもしれません。自分は不幸だと思えば、不幸な人生を歩むことにもなるのです。人生には、うれしいときも、悲しいときもあるでしょうが、仏さまに抱かれて歩んでいく人生が、不幸だと思うはずはありません。

 たとえ、この先どのような人生が待ち受けているにしても、仏さまに感謝しながら、最後まで歩ませていただこうではありませんか。
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.人それぞれの人生

音更町 浄信寺 御幸誓見 (1999年8月後半)
 7月の半ばからの記録的な暑さ続きに、挨拶も「今日もまた大変な暑さですね」が習慣になってしまったような気がいたします。

 先日、釧路方面のお檀家にお盆のお参りに伺った時、車を降りて「ああ涼しいな」と感じて家の中に入ったのですが、そのお宅では皆さんが「暑い」「暑い」の連発です。十勝地方では夏の25℃や26℃では涼しいと感じるのに、場所が変わると同じ温度でも感じ方が違うものだと、あらためて知らされた次第です。

 これと同じことが私たちの身の回りのいろいろなことにも言えるような気がします。

 例えば、病に伏して入院生活を余儀なくされたとき、誰しもがまず不安になるでしょう。年老いての入院生活ならば、なおさらのことと想像できます。1ヵ月以内の入院ならばまだしも、長期の場合、老・病・死が切実なこととして感じさせられることと思います。

 私の母が、いま、その長期入院の現実におります。6人部屋にいるので、いろいろな方に接することができます。老後は貯えだけが頼りだとばかり生きてきたが、誰にもお見舞いに来てもらえずいつも寂しそうな患者さんもいますし、その一方、いつも誰かが来て話しかけてもらっている患者さんもいます。

 その、いつも回りに人のいる方と話す機会がありました。その人は早くしてご主人を亡くされたので、自分も早かれ遅かれ死ななければんらんのだから、「生きてるうちは回りと仲良くしようと思ってきただけです」と言われました。ご主人の死を通して我が身の老・死を見つめ、和顔愛語[わげんあいご]を実践された方と言えますでしょう。

 同じように病に伏せっても、それを応援してくれる人がいるのといないのとでは大きな違いとなる、そう感じさせられました。

 南無阿弥陀仏によって救われる。大きな力に抱かれて生きる。そのなかで自分の人生に納得し、充実感をもって生きる。そうして安らかに死を受け入れる。

 そう思えるか否かで、人生の感じ方も違うはずです。

 さて、あなたはどちらの人生を送りますか。
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.仏さまに手を合わせる心

帯広市 勝興寺 小澤眞了 (1999年10月前半)
 仏さまに手を合わせるとは、どういうことでしょうか?

 今、一度問いかけさせていただきましょう。

 私たちは手を合わせて、仏さまにお願いごと、たのみごとをしてはいないでしょうか?

 手を合わせるとは、仏さまに、ありのままの私のすがたを写し出させていただくことです。

 そして、仏さまのお心をお聞かせいただき、一心[いっしん]に二心[ふたごこころ]を持たずに真実のお心を聞いて、我が身を振り返り、また、お誓いさせていただくすがたであります。

 お願い・たのみごとをすると、ろくなことがありません。

 良い結果が出れば慢心[まんしん]になり、悪い結果がでれば怒りさらには罵声[ばせい]となります。そこには何も残りませんし、進歩もありません。

 しかし、仏さまに手を合わせて、お誓い、反省することから良い結果が出れば、「ありがとうございます」と、すなおに感謝の心が顕[あらわ]れますし、また、悪い結果が出ても反省の心が芽ばえます。

 仏さまに向かって手を合わすすがた形は同じであっても、手を合わす私自身の心によって、これ程の違いがあるのです。

 私たちは、ともすれば、仏様に物々交換的に手を合わせてはいないでしょうか?

 仏さまは、私の心の鏡であります。そして、その心の鏡はいつも私の目の前にありながら、私たちはその鏡の前に座ろうとはしないのです。

 自分がこまった時だけ思い出してお願い参り、たのみ参りばかりしてはいないでしょうか?

 今日から、今すぐ思い当たる人がいるならば、この法話を切っ掛けに、あらためましょう。

 手を合わせて仏さまにお参りをするとは、仏さまのまことのお心をお聞かせいただき、今生きている私が、これから生きていこう、どのように生きていこうかと聞かせていただくことです。
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.いない・いない・バァー

芽室町 願恵寺 藤原昇典 (1999年10月後半)
 お釈迦さまは、私たちの生きざまを四つの漢字でお示しくださいました。「生」「老」「病」「死」の四つで、生まれること、病にかかること、そして、オギャーと生まれても、命あるものは百パーセント死んでいかなければならない命を生きていることです。

 その四つの漢字を縮めて、「生死」[しょうじ]とお伝えいただいておりますが、浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、この何一つ思い通りにならない私の生きざまを明らかにするために、阿弥陀さまから賜[たまわ]るお念仏を、私自身が問い訪ね、伝えて行ってくださいとお示しくださいました。

 私たちは、限りある人生を送っています。誰もが生まれたら、いつ死ぬかは分からない命を生きていることは誰もが知っていますが、さて、それはいつ頃、誰から教わったことでしょう。

 ある児童心理学の先生がおっしゃるには、赤ちゃんが生まれて半年から一才半位の間にすでに学習していると言います。

 生まれて間もない赤ちゃんの笑顔が見たいためによく簡単な遊びをいたします。「いない・いない・バァー」がそれです。赤ちゃんにとって、いつも目の前にいる人が、お父さんかお母さんか分からないけれど、心休まる方が目の前にいたのが、「いない・いない」と目の前から消えてしまうことはとても怖いことで、「いない・いない」が長ければ長いほど、死の恐怖として心に焼きつくとといいます。そしてその後[あと]に「バァ」とやると満面の笑顔を見せますが、これは会えた喜び、生きる喜びとして学習すると伝えてくださいました。

 簡単な遊びですが、とても大切なことではないでしょうか。私たちはそのいわれを知らずにいましたが、先人[せんじん]の知恵と思いが込められていたことに驚きます。

 「限られた命」を生きていると知らされながら、若さと健康に自らの命が見えずに歩みを進めている中に、他の人が死んで行くことはよくわかっていても、自分の命のありさまに気づけなかった私に対して、「どうか生死[しょうじ]の真っ只中[まっただなか]に生きていることに気づいてくれよ」と言う叫びが、「いない・いない・バァー」という簡単な遊びに込められていたのではないでしょうか。
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.本当に安心できる道

音更町 妙法寺 石田秀誠 (1999年11月前半)
 今回は、藤田徹文さんの本をとおして、安心して生きるとはどのようなことを言うのかについて考えてみたいと思います。

 藤田さんの『はじめて仏教を聞く人のための13章』の中に、次のように書かれています。

とあって、次に、 と言っておられます。

 また、親鸞聖人の『一念多念証文』より、「自力といふは我が身をたのみ我が心をたのむ、我が力をはげみ我がさまざまの善根をたのむ人なり」と明らかにしてくださり、自分の思いや、身体を信じ、自らの努力や自らの業績を力として生きる生き方が自力だと言われました。

 このように、私たちが毎日の生活をするのに、自分の生き方に責任をもって生きるのはとても大切なことであり、また当然なことでもありましょう。私も、出来るなら、このような生き方をしたいと考えます。

 しかし、藤田さんは、「自力」とは確かに立派な生き方だが、問題がないわけではない、と言っています。ともすると、強くて誰にも負けない自分の思いを信じるあまり、自分の思いに閉じこもってしまい、広く世界を見ることが出来なくなる恐れがある、と言われます。いつの間にか、頑固になってしまい、他人の言葉が聞けない、わがままな自分になってしまっているのです。

 そのことを親鸞聖人は「自力の人は広い広い光明の世界に生まれても、自らの殻に閉じこもって、光にふれることができない」と教えてくださいます。

 また、自分の身体が強くたくましい時は良いのですが、老・病・死の現実にぶつかったとき、過去の栄光を誇ることで、その苦痛をまぎらわそうとし、気がついたときには、人生の何もかもがストップし、いつの間にか後ろ向きになってしまってしまっているのだとおっしゃいます。

 よく、世間では、「だまされた」と言います。「信用してたのに」と言います。しかし、他人の行動はある程度予測できるのではないでしょうか。‥‥あの人はあの程度のことはやるな、と。‥‥彼は絶対しない、と。

 ところで、どうです、自分は‥‥絶対やらない、‥‥絶対やる、‥‥その時が来なければわからないのが自分ではないでしょうか。

 藤田さんは、「自力」でいちばん問題なのは、自らの小さな思いを破って、せっかくいただいた生命を力いっぱい躍動させるといういちばん大切なことが、自らの思いにしばられることによってそこなわれることだ、とおっしゃいます。

 そんな生き方であったとしても、他人の顔色ばかり気にし、占いやまじないに惑わされ、また、過去のことを気にし、未来に不安を抱えて、おどおど生きるよりは良いのでは? と思う人もいるでしょう。

 たしかにその通りかもしれません。

 しかし、他人の目が気になる小心な人間「わたし」。迷信を無視することの出来ない弱い人間「わたし」。過去にこだわり、未来を案ずる自信のない人間「わたし」。そんな人間の「わたし」でも、このいただいた生命を精いっぱい生きることのできる道があるのだよ、と教えてくださいます。

 いま、私は、藤田さんの言葉を通し、前にもお聞きした大切なことに「はっ」として、実践できそうもない幻想を振り捨てて、いつまでも、小さな自分の思いの殻に閉じこもらずに、一時も早く、弱いまま、そのままに、生きることのできる道にまた出遇わさせてもらえた感じがします。

 弱い私が生きる道。いつも忘れて、何回も気づかせていただきながらも、精いっぱい生きる道、それが本当に安心できる道、他力の大道なのだと思います。

 藤田徹文さんの文を通して、本当に安心できる生き方について考えてみました。
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.生死の苦海

鹿追町 玄誓寺 上本周司 (1999年11月後半)
 親鸞聖人は私たちの人生のあり方を「生死[しょうじ]の苦海[くかい]」とおっしゃいます。あるいは「生死海」[しょうじかい]とも「難度海」[なんどかい]とも言われますが、これは仏教でいう分段生死[ぶんだんしょうじ]のことです。分段生死とは、分かれて段々になって起こってくるということで、一つの問題は解決したら、また次の問題が起こってくる、その問題がやっとのことで解決ついたら、また次の問題に悩まされて、「やれやれ」ということがないのです。

 先日も関西の方でお話をするご縁をいただき、お話が終わったあと、座談会というより「日頃思っていること何でもええで、気にせんと話してや」と私が言うと、70くらいのおじいちゃんが話し出してくれました。

 息子によい嫁が来てくれるようにと、友人知人に頼んでいたら、こちらの心配をよそにちゃんと自分で好きな相手を見つけてくる。自分で選んだ相手なら、それが一番良いだろうと喜んでいた。ところが、今度は嫁と姑の問題が起こってくる。「そのうちに孫でも出来たらそれも無くなるだろう」と思っていると、男の孫が授かる。その孫は病気ひとつせず、すくすく育って、やんちゃになってくる。家内ともども嬉しく思っていました。

 息子夫婦は、私ら夫婦が住んでいる家の近くのアパートに住んでいますので、夕方になると、孫を連れて帰っていきます。じいちゃんばあちゃんに「バイバイ」をしなさいと孫に言うと、「じいちゃん、バイバイ」と私に手を振りますが、家内には言いません。それで、「ばあちゃんにも」と催促すると「いやだ」といって帰ってしまいます。そのあとの、家内の怖い顔といったらありません。

「あれはうしろで糸を引っ張っとるんだ」
「糸を引っ張るとはどういうこっちゃ」
「あれは嫁が、ばあちゃんには言わんでよいから、言い含めてるのや」

とムキになって言うんです。「そんなことはないよ。この間も『じいちゃんと遊ぼう』と、そばに寄って言うたら、『じいちゃん、あっちに行け』と言いよった。その時、その時の気分で変わるんだ。それより、おまえのその怖い顔、なんとかせい」と言うたんですわ。

 と、このような内容のお話をしてくださったのを覚えています。

 まさしく、これが分段生死の迷いの世界の姿です。孫の仕種一つで、私の煩悩が踊り出すのです。そのことを孫が教えてくれたのです。気づかぬ私に遇わせてくれた孫は、まさに、仏さまだったのです。

 私の生涯は、どこまでいっても「生死の苦海」です。分段生死です。それが仏法をいただくことによって「変易[へんにゃく]生死」にかわってくる。「生死」は変わりませんが、その受け取り方が変わってくるのです。「生死の苦海」がそのまま「光明の広海」へと変わってくるのです。

 心も体も大切に、感謝と喜びのお念仏をご一緒に、声高らかに、お称[とな]えしながら、浄土往生の人生を強く明るく生きぬきましょう。
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.南方仏教に伝わる“子どもの五つの責任”

音更町 報徳寺 佐藤誠 (1999年12月後半)
 今年も残すところ、あと2週間あまりとなりました。20世紀の日本は戦争をはさんで文字通り激動の100年でありました。少子高齢化社会をどう生きていけばいいのか。また、不況・リストラの時代に日本経済の再生という大きな課題を抱えて2000年を迎えようとしております。

 さて、話は変わりますが、「南方仏教徒(カンボジア・タイ・スリランカ・旧ビルマ等の仏教国で信仰されている仏教のことを言います)は、幼いころから「子どもの五つの責任」を教え込むそうです。

 第一は、育てていただいた親を養うこと。いうまでもなく、誕生から成人になるまで受けた多大な親からの恩を返すためにも、年老いた親を養いなさいと教えます。

 第二は、親のために、成すべきことをすること。両親が望んでいることを、両親のところへ言って、喜んでしてあげなさいと教えます。

 第三は、ご先祖と親の財産を保護しなさい。親の所有物・財産などを失うことのないように保護し、大切にしなさいと教えます。

 第四は、遺産を継ぐに値する人格者になること。ズバリ、親の教えを聞かずに反抗する子は遺産を継ぐべきではなく、親の教えを聞く子が遺産を継ぐべきだと教えます。つまり、遺産を継ぐに値する人格を持ち、それにふさわしい行いをしなければ継がせないと教えるのです。

 第五は、ご先祖や亡くなった親のために法供養をすることを教えます。

 さて、今の日本ではどうでしょうか‥‥。

 南方仏教徒に見習い、親が子どもに教えていく義務があると思います。
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