十勝組 2000年の法話
(2000年1月~12月)
.心の拠り処
新得町 立教寺 千葉照映 (2000年1月前半)
人間は誰しも心の中に、何か支えとなるものが必要なのではないでしょうか。
「独生・独死・独去・独来」
一人生まれ一人死に一人去り一人来る、そういう存在だからこそ支えがなければ、そして心に灯火[ともしび]がなければならないのではないでしょうか。
その心の中の依り所となるものがなんであるのか。それは個人個人異なっているでしょうし、また、考え方も違いますから何であってもかまわないと思います。
例えば、私はパチンコをすることが生き甲斐なんです、いや私は車を買うことが趣味でそのために働いているんです、いやいや私は、愛する人の為に尽くすことが生き甲斐なんです、と色々あろうかと思います。
しかし、それが永遠の依り所となるだろうか、決して変わることのない依り処となるのですか、と問われたときいささか疑問が残ってしまいます。
果たして人間によって造られたものが、私にとって依り処となり、私にとって永遠に変わることのない心の灯火となり得るのでしょうか。人間によって造られたものというのは必ずいつかは消滅してしまうというのが仏教の原則であります。
私たちはそのいつかは消滅してしまうものばかりを追い求めて毎日アクセクと働き又、それが生き甲斐だと思いこんでいるのではないでしょうか。
親鸞聖人の書物の中には至る所に「真実」という言葉が使われています。
環境が変わろうとも、時代が変わろうとも決して変わることのない「お喚び声」にささえられ、育まれている喜びこそ、永遠に変わることのない依り所ではないでしょうか。
2000年という新しい年を迎え、私にとって何が真実なのか、何が永遠に変わらない喜びとなるのか、今一度共々に味合わさせて頂き、喜びの多い一年とさせて頂きたいものであります。
.私の目標
芽室町 寶照寺 泉恒樹 (2000年2月前半)
皆さんは、今年を迎えてどのような思いでおられますか? 私は、いろいろな目標を立てたつもりなのですが、ある友人と話をしたときに、その目標に正直びっくりいたしました。なぜなら、私の目標とは全然スケールの違いを感じたからです。なにか、恥ずかしい思いをしたのを覚えています。
しかし、考えてみますと、誰かと比べなければいけないのか? と‥‥。
私には、私の目標が、きちんとある。何も恥ずかしいことではない。恥ずかしいと思うのは、他の人と比べなければ納得できない自分なのではないだろうか? 自分というものをきちんと見た時、今の私にはここまでなら出来るだろうと素直に自分を見ていけるのがホントは大切なんだろうと思います。
先ほど、「目標を立てた」といいましたが、具体的なことは正直見あたりません。ただ、去年、私の姉が亡くなり、その中で感じたことをどれほど私の中で受け止められたのか、試していきたいと思っております。
姉は、数え年37歳で亡くなりました。振り返ると、姉の人生はどうだったのだろうかと考えたくなるほど、病と隣り合わせの人生でした。そんな中、強く、弱いところを見せない姉を、心のどこかで尊敬していました。
なぜ、そんなに強いのだろう‥‥‥?
そのわけは、最後の最後にわかりました。病室では、いつもお念仏を口にしてました。み仏さま
[みほとけさま]といつも一緒にいたから、一人ではないと‥‥‥。
姉が亡くなる1ヵ月前、姉は、亡くなったら渡して欲しいと、母に私宛の手紙を託しました。それには、こう書かれていました。
恒樹へ
私の入院で一人暮らしを余儀なくさせてしまってごめんね。
もう慣れたと言っていましたが、大変なことはわかっています。
猫の桃ちゃん&駿くんに慰められているのでしょうか?
恒樹は、これからいろんな経験をして立派なお寺さんになっていくのでしょうね。
おごらず、たかぶらず、てんぐにならないで、
いつまでもみんなのアイドルでいて下さい。
すごく弱々しい字で書かれてあります。それを見るたび、涙が止まりません。
涙しながら、立派なお寺さんになんかなれるわけないだろう!! と心でつぶやきます。
姉の生には、多くのことを教えられました。
もしかしたら、これをお聞きの方の中にも、身近な人の死を通して、多くのことを感じていった方もいるかもしれません。
仏さまは、いつもそばにいます。一人の時も、実は二人三脚で歩んでいるのです。
そのことを心にして、今年一年を歩んでみてください。すると、苦しいと感じていた今が、ありがたいと変わっていけることでしょう。
そういう意味で、私にも、今年は試される一年となることだと思います。
なにも、具体的な目標を持つことだけが、目標ではありません。私たちは、生まれながらにして大きな目標を持ちながら歩んでいるのではないでしょうか。
「しあわせ」の見える目
足寄町 照経寺 鷲岡康照 (2000年2月後半)
昨年の暮れに、運転免許証の更新のため、講習を受けてきました。講師の方が、人間の目の不確かさ・目の錯覚を知らせるために、数枚の絵を示し、お話しくださいました。
そのうちの1枚の絵は、白い紙に黒い壷が描かれています。しかし、見方を変えますと、2人の人間が向き合っているように見えてきます。
また、もう1枚の絵は、魔法使いのおばあさんの横顔のように見えますが、これもその鼻を「顎」
[あご]と思い見つめますと、髪の長い、若くきれいな娘さんを、斜め後ろから見たように見えてきます。
1枚の絵が、見方によってまったく違うように見えるのです。
話を聞きながら、私たちが日々暮らす中にも、同じことが言えるなあと思いました。どのようなものの見方をするかによって、見えてくるもの・味わい方がまったく違うと思うのです。
「俺が」「俺が」と我を張り、生まれてきたのも、生きているのも「あたり前」。これでは「喜び」はありません。
自分の思い通りにならないと人を悪く言い、「周りが悪い」「日が悪い」「方角が、墓相が悪い」。これではきりがありません。
そして、人の欠点はよく見えるが、自分の欠点は見えにくい。人に厳しく、自分に寛大。
これでは「すみません」と頭が下がるはずもありません。日本語の中で最も美しい言葉が「ありがとう」「おかげさま」「もったいない」「すみません」が上げられてありました。
東井義雄先生は、
「お陰様を見る目」が開けてくれると、すばらしい世界が開けて下さるのです。
その目がないと、幸せの真ん中にいても、幸せなんか見えないのですね。
と言われました。
私たちの目は、太陽の、電気の光の力を借りて、物を見ることができるように、仏さまの光に照らされ、つつまれて、「お陰様」が見える目、「幸せ」の見える目が開けるのです。
聞くというは 信心をあらわす みのりなり
鹿追町 浄教寺 池上恵龍 (2000年3月前半)
親鸞さまのお書物に、「聞くというは信心をあらわすみのりなり」のお言葉があります。
第八代ご門主の蓮如さんも、「ただ、信心は聞くにきわまる」と聞くことの大切さを繰り返しおっしゃっています。
また、聞くにあたって、「角[すみ]を聞け、詮ある所を聞け」と言い、言葉の奥にある大事な中味を聞くことを勧めています。
そのために、『御文章』[ごぶんしょう]のように、何度も何度も同じことを繰り返し繰り返し読み、聞くことを勧め、そのことを通して、阿弥陀さまの、私にかけてくださる願いの中味を伝えようとされたのです。
先日、町内の「油絵の講習会」に参加しました。
僅[わず]か4回の短期間という気軽さもあって、初めて、油絵に挑戦しました。布地の上にエンピツで下絵を描き、その上から絵の具で描いてゆくのですが、初ものの私には難しく、形も、色合いもままなりませんでした。それでも最終回の4回目頃にはなんとなく絵になってきたものです。
面白[おもしろ]いことに、それまで、僅かな色あいにしか見えなかった対象が、何十回と見つめる中で、様々な色が存在することに気付かされてきたのです。描き始めの頃とは印象が随分違って見えてきたのです。
そのことは、同時に、見る度[たび]に違って見える、私の目のあやふやさを知らされてきたことでもあります。
このことは、本を読む場合でも言えることで、時間をおいて読み直したときに、新しい発見や、違った印象を受けることがあります。
法話を聞くにあたっても、年齢や生い立ちの違いによって、聞こえ方が違ってくるでしょうし、同じ人が同じ内容を聞いても、時、場所、その時の心模様によって、違いが生じたりします。
人生の喜怒哀楽[きどあいらく]を多く経験する中で、当てにならない自分の目、耳、考え、行いが明らかに知らされると共に、阿弥陀さまの、私を浄土へ往生[おうじょう]させんとする願いが確かであるこが聞こえてくるのです。
南無阿弥陀仏と念仏を申しては教えを聞き、聞いてはお念仏を申す日暮らしの中で、共々に、浄土への旅を歩ませていただきましょう。
.逆境こそ 我 はげみなりけり
帯広市 佛照寺 藤本実円 (2000年4月前半)
先日、久しぶりに夜遅くまでテレビを見ていました。面白い番組がなかなか見つからずにリモコンで次々とチャンネルを変えていましたら、NHKの放送終了の場面を2年ぶりくらいに見ました。皆さんご存じでしたか、『君が代』をバックに日章旗が映し出されているのを・・・。では、その日章旗はどんな風に映っているか覚えていますでしょうか。
そうですね。風になびいています。
その風になびいている日章旗を見て思い出したことがあります。もう13年前のことですが、8月に勤まる報恩講の準備を役員さんとしていたときのことです。とても暑い日でしたが、仏さまの旗と書いて「ぶっき」と読みますが、その旗を揚げたとたんに強い風が吹き出し、おまけに雨までが降ってきました。慌てて木陰に雨宿りをしていた時に、となりにいらっしゃった役員さんが私に尋ねてきました。
「若さん、仏旗が風になびいているけれど、あれ、どう思う」と訪ねられ、意味がわからず「どう思うっていいますと。」と聞き返しました。すると役員さんは更に詳しく「いやネ、今、急に風がふいて、だらんとしていた旗が勢い良く風になびいているけど、若さんは、あのなびいている旗を順風だと思うかい、それとも、逆風に見えるかい」と聞かれ、私はしばらく考えて「順風に見える」と答えました。すると役員さんは、「ほおう、どっちでもいいんだけどね」と一言。
それでその場の会話は終わったのですけれど、そのお尋ねの答えが分かったのは、それから9年目の春でした。
その年にその役員さんの葬儀がつとまり、残してくださった辞世の句はその時の答えそのものでした。
その句は
『逆境こそ 我 はげみなりけり』
この句を聞いたときは本当に驚きました。9年前に答えを言うことも出来たでしょうにあえて言葉で言わずに辞世の句で私に答えを伝えて下さったのでした。
いのちのきずな
幕別町 顕勝寺 芳滝智仁 (2000年4月後半)
子どもが通っている小学校2年生の担任の先生が、年に一度の学芸発表会の日に有休を取り陸上大会に出場していました。親の多くは、自分勝手な先生だという不満を持っていたようですが、声を上げませんでした。しかし、そのことが子どもたちにとっては大変深刻な現実であったことが、一人の6年生の子どもの「一生懸命練習した事を先生に見てもらえない、その日に支えとなってもらいたい先生がいない生徒は本当にかわいそうだよ、そしてその先生も大変だよ、だって先生も発表会を見ていないのだから褒めてあげられないでしょ。」という言葉によって教えられました。
そこには、子どもたちの思いに立つことができず、子どもたちに対する責任を放棄した先生と親がいました。子どものいのち(人権)は、このようにして損なわれていくのだということを教えられ、話し合いをはじめています。
神戸の連続児童殺人事件を起こした「酒鬼薔薇聖斗」と名のった中学生が、逮捕された約3ヵ月後、拒んでいた両親との面会に応じ事件後初めて両親に会った時に言った言葉は、「帰れ、ブタ野郎、会わないと言ったのに何で来やがったんや。」ということであり、その時の少年の様子は、両親が今まで見たこともないすごい形相で睨みつけ、目にいっぱい涙を溜め心底から両親を憎んでいるようであったそうです。そしてその時の母親はなんて顔するんやろう、ギョロッと目を剥いた人間じゃないような顔、「どないしたん?何をそんなに怒っているの」と思ったとその手記に書かれてありました。
少年が今この母親の思いを知らされていたなら、より深い絶望を味わっているのではないかと思います。親という仮面を被[かぶ]り続け、そのことにまったく気づけない親と、本当の親を見失ってしまった子どもの両方の、深い苦しみ悲しみのすがたがそこにあり、決して他人事[ひとごと]だと思うことができませんでした。
「酒鬼薔薇聖斗」と名のった少年の親のすがたに、現代社会の中で親であることの難しさを教えられます。
『観無量寿経』[かん むりょうじゅきょう]の中で、我が子・阿闍世[あじゃせ]がクーデターを起こし、夫である頻婆娑羅王[びんばしゃらおう]を牢に閉じこめ食まで断ち、自分も剣で殺されかかり閉じこめられた韋提希[いだいけ]の、お釈迦さまに向かって「われむかし、なんの罪ありてかこの悪子[あくし]を生ずる」と、我が子を「悪子」としか思えないすがたに、「酒鬼薔薇聖斗」と名のった我が子に事件後初めて面会した時「人間じゃないような顔」としか思えなかったその少年の母親のすがたを重ね見ることができます。
家族が崩壊しすべてを無くした韋提希は今、「仏の教え」に遇い救われ、そのことによって阿闍世も自分の非に気づき救われます、そして母と子の「いのちのきずな」が生まれます、韋提希が念仏の教えに遇えた時の様子が『観無量寿経』第七華座観[けざかん]の中に「無量寿仏[むりょうじゅぶつ]、空中[くうちゅう]に往立[じゅうりゅう]したもふ・・・光明[こうみょう]は熾盛[しじょう]にしてつぶさに見るべからず」とあります。
真っ暗な中にいればいるほど、射しこんだ光は烈[まぶ]しいものです。
その時、韋提希は自分の底無しの闇の深さに懺悔の涙を流したことを示しています。我が子を「悪子」と言っていたが、自分はその子にとって本当に親であったのか、人間でありえていたのかと自分が問われ、韋提希の中にいのちが芽生え救われていったのです。
「酒鬼薔薇聖斗」と名のった少年は、面会に来た親に「何のために会いに来たのか」と問うています。両親はその問いに答えることができませんでしたが、その少年に撲殺された山下彩花ちゃんの母親が娘の死を通していのちの意味を問い続け、その少年の問いに答えています。
その少年に対する憎しみの心をかかえながらも、「もし、私があなたの母であるなら、真っ先に思い切り抱きしめて、共に泣きたい、言葉はなくとも、一緒に苦しみたい」と、いのちで子どもに詫びてゆかねばならない、そうせずにはおれない『人間』である親の思いがその手記の中に切々と綴られています。
.善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
帯広市大正町 光心寺 桃井信之 (2000年5月前半)
近年、といっても、10年ぐらい前から顕著[けんちょ]になってきたと思われることですが、テレビのニュースや新聞記事で取り上げられる事件に、非常に奇妙なものが目立ってきた、ということを感じませんか?
凶悪な犯罪は、かなり以前からありましたが、最近耳にするものは、まったくわけがわからない、いったい何を考えているのかわからない、と感じてしまう事件ばかりです。
東京では、白昼、池袋という人通りの多い繁華街で、老夫婦が包丁でめったづきにされました。また九州では、駅の建物の内部にわざと車で突っ込み、歩いている多くの人をはねたあと、階段を駆け上がりホームに出て、列車を待っていた人を包丁で斬りつけた、という事件もありました。京都では、小学生が校庭で遊んでいたところをナイフで斬り殺されました。
これらの事件を引き起こした犯人に共通していることは、被害者を知っているわけでもなければ、恨みを懐いていたわけでもないということです。警察による取り調べで、犯人は、どちらのケースも「むしゃくしゃしたからやった。誰でもよかった」と話しています。
そういえば、こんな話も聞いたことがあります。以前は、金銭目的の強盗ならば、包丁や拳銃で店員を脅しても、素直にお金を出せば、殺されずにすむケースが多かった。しかし近年は、まず店員を「ズドン」と撃ち殺してから、金品を奪う強盗が目立つようになってきた、というものです。
さて、これらの事件は何を意味しているのでしょうか。
一言でいえば、「いのち」の価値というものを考えたことがない人間が増えてきた、ということになるのではないでしょうか。「やむにやまれず強盗をはたいて、他人[ひと]様のお金を盗ることはあっても、人の命まで奪うことはできない」という考え方が、まったく通用しない人たちが増えているのです。「いのち」の価値や尊さを考えず、自分がいったい何をしているのかさえまったく見えていない人が増えているということです。恐ろしい世の中になってきたことです。
ところで、親鸞さまの残された有名なお言葉の中に「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」というものがあります。善人が救われるなら、悪人が救われるのはいうまでもない、というほどの意味ですが、多くの方はこのお言葉の真意を誤解しておられるようです。もし世間一般でいうように、悪人が善人より優先的に救われるという意味ならば、先ほど取り上げた事件の犯人こそ真っ先に救いの対象となるはずです。
しかし、親鸞さまはそんなことをおっしゃったのでは決してありません。親鸞さまが「悪人こそ救われる」とおっしゃった、その悪人とは、お念仏の鏡に映し出された、ウソいつわりのない自分の姿を自覚した者を言うのです。
自分の顔を自分の目で見ることはできません。鏡に映してはじめて見ることができます。
同様に、人間や人間社会の本当の姿は、人間社会にある鏡では決して見ることができないのです。
ですから、私たち人間の社会を越えた世界から、私たち一人一人に「どうぞ本当の姿に気づいてくれよ」との願いから、お念仏の鏡が至りとどいているのです。そこに映ったごまかしのきかない、自分の「いのち」の正体を自覚したとき、親鸞さまは「悪人」としか言いようのない私である、と頷[うなず]かれたのであり、その自覚をもったもの、おのれの「いのち」に気づいたものこそ本当の救いの対象であると、いただかれたのです。
この殺伐[さつばつ]とした現代社会に生きていかざるをえない私たちは、いつ何時[なんどき]、業縁[ごうえん]によって先に述べたような事件を引き起こすかわからない「性[しょう]」をお互い持ち合わせているのです。
自分の本当の姿を映す鏡を持つことが、今ほど必要な時代はありません。今こそ、真の自分を自覚する鏡の必要性を、家庭や学校教育の中で教えなければならないときである。そう思えてなりません。
命のつきる時
清水町 寿光寺 増山孝伸 (2000年5月後半)
今年の始め、小学校時代のクラス会がありました。一年生の時に担任だった先生も招き、とても懐[なつ]かしく楽しいひとときを過ごしました。
そんな一週間後、私のもとに、友人が亡くなったという知らせが届きました。しかもその友人はクラス会に出席するはずの同級生だったので、大変驚きました。「仕事があるため出席できません」と連絡が来ていたので、クラス会に出席できなくても元気に働いているのだろうとばかり思っていました。
クラス会の幹事に連絡を取り確認すると、その同級生は末期の大腸ガンの治療のため、昨年札幌での仕事を辞め、帯広の病院に入院していたとのことでした。こんなことならもう一年早くクラス会を開けばよかったなと話をしていました。
亡くなった友人は、もし自分が死んだらお寺に同級生がいるからお経をあげてもらいたいと母親に言っていたそうです。卒業後、二十年以上も会っていませんでしたが、よく私が僧侶であることを覚えていてくれたなと思いました。
しかも学生時代はおとなしく物静かだった彼が自分の残り少ない命を感じ、お葬式のことまで考えていた時の辛さはいったいどんな気持ちだったのかと考えた時、お経を上げながら、何とも言えない、切ない気持ちになりました。
生きるということ、今、生きていることは当たり前のことではなかったんだよ、自分の戴[いただ]いたこの命を本当に精一杯生きているかい、この世のご縁がつきると言うこと、命が終わると言うことは、人ごとではなく自分のことだったんだよ。
彼の遺影[いえい]は、まさに命がけで私にそう語りかけてくれているかのようでした。
.お浄土への道
帯広市 帯広別院 伊澤英真 (2000年6月前半)
この頃、テレビ・新聞では、若い世代の事件・事故の話題が取り上げられています。まことに、残念、かつ、もったいないことと思います。
先日、私がお参りに行った中で、息子さんを若くして亡くされたお母さんの家へ参りました。思いのほか元気でありましたので私自身もほっとしました。そこでそのお母さんとしばらく話をしていましたら、息子さんのことをいろいろ話してくださいました。
本当に真面目で仕事熱心、きょうだい思いの良い子でした、と。息子は亡くなってしまいましたが、今、いろいろ教わっています。
- どんなにいとしい・かわしい子であろうと、命ある者は、死んで別れなければならないこと
- 今まで手を合わせ拝むこともなかった私が、今、残った家族と共に、皆でお参りすることが出来たこと
- 「あたり前」、「あたり前」のことが、「お陰さま」であったこと
お母さんは、悲しい、つらいご縁の中にも、「ありがとう」という感謝の思いを語ってくださいました。
日頃は他人事
[ひとごと]としか思っていなかった、死という現実から、のがれられないこと。形あるものは、頼りにならず、別れなければならないこと。亡き人が私に教えてくださり、無常であり限りあるこのありがたい命を大切に生きよと、おさとしくださっているのです。
親鸞聖人は、私たちが、このかけがえのない命を大切に生きる道は、阿弥陀如来の願いである、本願を信じ、お念仏をよろこばせていただき、やがてはお浄土に往生し、仏さまとなることであると、死にあって悲しむ私たちが悲しみを越える、向かうべき方向を示しておられます。
幸いにも、同じお念仏を申す私たちは、同じお浄土で再び会うことが約束されています。
亡き人が死をもって教えてくださったお浄土への道を、私たちもまたお念仏とともに歩ませていただきましょう。
.『朗読法話集』の中から
幕別町忠類 東光寺 豊田信之 (2000年7月前半)
童謡で「チューリップ」という歌がありますね。「咲いた、咲いた、チューリップの花が‥‥」という、あの歌です。「ならんだ、ならんだ、赤、白、黄色。どの花みてもきれいだな」と続きます。
とくにめずらしいことをいっているのではありません。ただ、赤や白や黄色に咲いた、チューリップの花がきれいだといっているのですが、よく味わってみると、そこには生き生きと輝く、チューリップの「いのち」が感じられますね。
赤いチューリップは赤いままで精いっぱい輝き、白は白でけんめいに輝いています。黄色い花も黄色のすばらしさを、花いっぱいにあらわしています。
どの色の花がすぐれていて、どの色の花がおとっているというのではありません。それぞれの花が、それぞれのもち味を生かして、精いっぱい輝かせているのです。この「チューリップ」の童謡は、「いのち」のすばらしさをうたっています。
そしてこのチューリップの花よりも、もっともっと美しい、いのち輝く花が満ちあふれているのが、仏さまの国、お浄土です。
お仏壇に、お花をお供えするのは、このお浄土の色とりどりの花を思ってのことなのです。きれいに咲いたお浄土の花の一つひとつには、仏さまの願いが込められているのですよ。
仏さまの願いはどういう願いなのでしょう。それはね、「顔や形、性格はみんな違っていても、一人ひとりがそれぞれの〈いのち〉を精いっぱい、輝かせてくれよ。人と違っていることで悲しんだり、淋しがったり、くけてはいけないよ。たとえくじけそうになっても、私がちゃんとついているから、安心して精いっぱい、元気をだして生きてくださいよ」という願いです。
チューリップの花と同じように、みなさん一人ひとり、お念仏を称
[とな]えながら、赤・白・黄色と、輝くように生きてくださいね。
本願寺『朗読法話集』より
命
広尾町 光音寺 頼田亨 (2000年7月後半)
今回は、電話をくださったあなたとご一緒に、「いのち」ということを考えてみたいと思います。
「いのち」というと、私たちの回りに多くあると思います。でも私自身の命はどうでしょう。自分の命に差別をしていないでしょうか。
顔が美しい人、健康な人、富を持っている人、すべて私自身より上の人に対して羨
[うらや]むことばかりで、自分自身の命に、一つも思いやりがないと思うのです。
命は一つです。自分の命は今の自分の命しかないのです。命の差別は自分自身の差別だけでなく、すべての命の差別につながるのです。
『歎異抄』
[たんにしょう]の中に、
親鸞は、父母[ぶも]の孝養[きょうよう]のためとて、一返[いっぺん]にても念仏申したること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情[うじょう]はみなもつて世々生々[せせしょうじょう]の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生[じゅんじしょう]に仏になりてたすけそうろうべきなり。
と言われています。これは、身内のための念仏ではなく、すべての命に対しての念仏である、だからこそ次の命に対して平等の念仏であると言われたのです。このお言葉からすると、私たちは他の命だけでなく、自分自身の命にさえも差別をしているように思うのです。ですから、病身
[びょうしん]であっても、富が莫大にはなくても、今の私自身の命を足元から、よく見ていく必要があるのではないでしょうか。
私の命がよく見えてくると、他の命も、すばらしく見えてくるように思うのです。
.つながりあう「いのち」
大樹町 光教寺 岩崎教之 (2000年8月前半)
今年もお盆の時期となりました。
「お盆」という言葉には、言いようのない懐かしさがあります。その懐かしさの中には、それぞれの地域で行われる、お盆の行事、あるいは風習というものであったり、また、亡き人々への思い出に対するものであったりします。
私たち、浄土真宗の教えに生きる者にとっては、何も「お盆」だけが「亡き方々」を思い起こす行事ではありませんが、やはり「お盆」はとりわけ、亡き方々のことを思い出させる仏教行事でもあるようです。
特に、この一年にお身内や親しい人を亡くされた方にとっては、その悲しみの中「初盆」を迎えることでありますから、一層、亡き人が偲ばれることでありましょう。
親鸞聖人が、真実の教えを示したお経とされた『大無量寿経』の下巻には、
「人在世間愛欲之中、独生独死独去独來。(中略)身自当之無有代者。」
人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。(中略)
身みづからこれを当くるに、代るものあることなし。
とあります。
私たちは一人では生きていけません。親・姉弟・姉妹・夫婦・同僚・同朋、‥‥その他多くの「いのち」とのかかわりの中で生きてきました。が、しかし、独りで生きていかなければならないのは、昔も今も変わりありません。
お盆という行事は、私たちにあらためて、この「いのち」は無数のいのちと、つながり合ったものであり、その恵みの中で「生かされている」ことを実感する時でもあります。そこから、平素、聞法しているお念仏が、称名
[しょうみょう]、ナモアミダブツとなって私の口をついて出てくれます。
私たち浄土真宗の教えを聞き、それによって生きる者は、亡き方々に対してご供養「する」のではなく、亡き方々をご縁として、今、ここに生かされている私のいのちが、それらの方々とのつながりであり、このいのちが、また、他につながっていく尊いいのちであることに目覚めさせていただく「法事」であることを忘れてはならないでしょう。
.慢心カルタ
音更町 光明寺 臼井公敏 (2000年9月前半)
今回は、「慢心カルタ」、煩悩カルタとも申しますが、それを紹介します。
慢心の「慢」は自慢の「慢」です。カルタはイロハ順になっております。
最初にイ。
「一番よい子はこの私」。いつも私たちが拝読しております『正信偈』[しょうしんげ]の中に「邪見憍慢悪衆生」[じゃけんきょうまんあくしゅじょう]とありますように、─憍慢[きょうまん]─、うぬぼれの心です。
次にロ。
「ろくでもないのはみな他人」。これは「慢」で、他人と比べて思い上がること。
次にハ。
「はずかしながらテレもせず」。これは「増上慢」[ぞうじょうまん]で、中身がないのにあるような顔をすることです。
次にニ。
「にっこり笑って人を刺す」。これは憍[きょう]、憍慢の「憍」で、家柄・財産・地位・博識・能力などに対するおごりです。
次にホ。
「本当はあいつも俺ぐらい」。これは「過慢」、慢があり過ぎると書きます。すぐれた者に対して同等であるとする心です。
次にヘ。
「へりくだってほくそえむ」。これは「卑下慢」[ひげまん]で、謙遜するふりをしながら自慢することです。
次にト。
「徳もないのにしたり顔」。これは「邪慢」、邪見[じゃけん]の「邪」です。他人を見下してまで自分とつくろうとすることです。
次にチ。
「ちっとも私はかわらない」。これは「我慢」[がまん]、自分にとらわれ、思い上がる心です。
‥‥‥カルタはまだまだ続きますが、あなたはいくつ心当たりがありますか?
私はすべてあてはまります、そういう心を抱えながら生きているこの私、自分本位の生き方をしています。自分の利益[りえき]になること以外はしません。やさしさ、おもいやり、あたたかい人間関係は影をひそめ、他人の声を聞こうとしません。その結果、自分を傷つけ、他人をも傷つけています。
そんな私たちの姿をはっきりと自覚させ、われもひとも、ともに心豊かに、幸せに生きてゆく道を教えてくださるのが、お念仏の教えです。
.“ぞうきん”の心
大樹町 誓願寺 頓宮彰玄 (2000年9月後半)
仏の世界を詠んだ詩に、「ぞうきんは他の汚れを一生懸命拭いて 自分は汚れにまみれている」というものがあります。
先日のNHKの大河ドラマをご覧になりましたでしょうか。三代将軍家光が竹千代と呼ばれていた時に、大奥の侍女部屋に侵入し、身ごもらせてしまい、それが発覚しそうになって、竹千代の側近たちが竹千代のために、そしておのれの保身のために、身代わりを出させてその者に罪をかぶせ、後継の立場を守ろうとする。罪をかぶった者は磔[はりつけ]で死罪、無理矢理に身ごもらせられた侍女までも、竹千代を陥[おとしい]れるために嘘をついた等として、おなかの子とともに打ち首となって死んでゆく、殺されてゆくという場面がありました。
これが封建時代の主君と忠君の世界。どうかすると美辞麗句で形容されかねない使う者と使われる者の世界としてあるわけでございます。
現代の民主主義の時代にそんなことはないように一見見えますが、本質的には何ら変わらない、封建時代の命を命とも思わない、無惨に命が抑圧され、他の罪を負わされて貶[おとし]められていく、という封建時代の遺物のような価値観が、現代にもどうかすると一部にはある。それが差別の問題であり、信心の社会性がそのことを問うのです。命が不当に差別され、踏みにじられていく、あってはならない不条理な娑婆[しゃば]をあきらめてお浄土へ参りましょうというのが信心ではありません。
ぞうきんのようにボロボロにされて葬られていく生き様に“仏[ほとけ]”という世界をいただくと同時に、差別の本質を見つめ、真実を見抜く眼を如来さまより賜[たまわ]って、自他の相[すがた]を知らされ、少しでもぞうきんの心、如来さまの心に沿うべく動かずには、ものを申さずにはおれない私に変えられていく、それが「利他真実の信心なり」と示された宗祖のお心であり、社会へと関係していく“信心”として伝えられた、私どもが生きる道標[みちしるべ]なのです。
.私からついて離れることの出来ない仏さま
池田町 俊教寺 椎原知空 (2000年10月前半)
こんにちは。
私の寺には、門の入り口のところに掲示板がありまして、毎月、祖師聖人
[そししょうにん。親鸞聖人のこと]の御命日(16日)に取り替えて御縁をいただいておりますが、今月は、
花を見てゐる私が花に見られて居る
佛を拝んでゐる私が佛に拝まれて居る
と書かせていただき、掲示させていただきました。
実は、今年2000年の4月に、ご門徒のお方々と新潟県へ旅行した折に、ご存知の通り祖師聖人が越後流罪
[るざい]の折、上陸されました居多ヶ浜
[こたがはま]に、聖人のお気持ちを偲びながら御縁をいただいた折のことです。たまたま土地の小学4年生の学童が30数名、社会勉強に同じ場所に居合わせまして、先生が掲示板の前に子どもたちを座らせて、聖人の歴史的な話をされたのです。私は浜を見ながら、静かに聞いていました。
話を終えられまして、先生は生徒に「親鸞聖人って、私たちの毎日の生活に何を教えて下さったお方ですか?」と質問されました。さて、あなたなら何と考えられますか? 「毎日の生活に」と尋ねられたのですから。
そばに立って聞き耳を立てておりましたら、次々と答えが出てまいりました。朝起きたら仏さまに手を合わせること、御飯をお供えすること、ローソクとお線香を上げること、お経を上げること等々、次々と出てまいりました。私は微笑ましく聞いていたのですが、だんだんと手が挙がらなくなった折に、一人の少女が恥ずかしそうに手を挙げて答えてくれました。その少女の答えは、
仏さまが、私が泣いている時も、遊びに夢中になっている時も、
私からついて離れることの出来ない仏さまと教えていただきました
と発表されたのです。私はこの言葉に出あいまして、私の至らなさに脇の下に汗を流したことです。
宗祖聖人に「仏さまってどんな方?」と伺いますと、「この仏、色も形もましまさず。十方微塵世界
[じっぽうみじんせかい]に満ち満ち給
[たも]う」と教えてくださいます。常に私について離れることのない仏さまなのです。いつでも・どこでも・だれでも、何をしていようとも、影の形に添うように、ご一緒させていただいているのですね。
私が手を合わせ、私がお念仏する、私が拝む、その私のすべてが、如来さまより私を念仏せずにおかせぬと願われ、拝まれていることを、毎日毎日の生活の心の糧として、生かさせていただきましょう。
南无阿弥陀佛 南无阿弥陀佛。
.お念仏の本当の味わい
清水町 妙覚寺 脇谷暁融 (2000年11月後半)
すでに今年も帯広別院の報恩講も終わり、暦は師走を迎えようとしています。みなさまはどのように過ごしていますでしょうか。一年でいちばん寒い時期を迎えるにあたって、忙しく冬支度に追われているのではないでしょうか。
十勝平野の冬景色を見ていて思うのは、秋起こしをした後の、むき出しになった大地と枯れ始めた牧草畑、それらとは対照的に色濃い緑で必死に霜に耐えている小麦畑が目に止まります。
小麦は秋に種を蒔き、雪の下になりながらもじっとこらえ、初夏の頃に穂をつけて収穫となります。まさに冬を越さなければ実をつけることができません。秋に蒔かれてすぐに芽を出し、最も厳しい季節を越えて、雪の重みをも助けとして成長し、豊かな実りを迎えます。
置き換えて考えますと、私たちの人生においても同じように、苦しみに叩かれ、悲しみに耐えながらひとつずつ人としての味わいを深めていくに違いありません。真冬のような厳しい現実をひたすら過ごしている私たちの生き方において、親鸞聖人がお説きくださったお念仏の教えがいよいよあきらかになってくださいます。
お念仏とは、如来さまのお名前を称[とな]えることに始まります。ただ称えることに意味があるのではなくて、称えていくお名前の中にこめられている如来さまの願いを、私たちの人生に重ね合わせていくことに、お念仏の本当の味わいがあります。
苦しみや悲しみの中で押しつぶされそうに生きている私、その私に向かって、たった今、しっかりと大地から支えてくださっている如来さまがいてくださるからこそ、深い人生の収穫を味わうことができることを示してくれるのです。
.悲しみは、悲しみのままで。
音更町 妙法寺 石田秀子 (2000年12月前半)
2000年も間もなく終わろうとしております。この1年、親しい人との別れに遇われた方もいらっしゃることでしょう。
私たちにとって、肉親あるいは身近な人の死は、なかなか受け容れがたいものです。
お葬式は、大切な人との別れを、読経や弔辞、お焼香などの儀式を通して、何とか納得し、受け容れようとするために行われるものなのかも知れません。
そこには、亡くなった人が、自分たちとは違う世界へ行ってしまったんだ、という事実を認め、受け容れようとする思いがはたらいているように思います。
私たちは、何となく、「亡くなった人のことをいつまでも考えて、くよくよしていてはいけない。亡くなった人のことは早く忘れて、頑張って生きていかなければいけない。」そんなふうに考えてはないでしょうか。
私たちは、日々、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだりと、感情が動いてしまいます。このような感情の動きのすべては、本来ならば、救いのさまたげとなる「煩悩」なのです。
でも、阿弥陀さまは、私たちの微妙な感情の動き、私たちの煩悩を、みんなすでにお見通しなのです。お見通しでおられるから「そのままのあなたを救います」とおっしゃってくださるのです。
大きな悲しみは、その人の心を深めることはあっても、害悪としてはたらくことはありません。悲しみと真向きに向かい合い、くよくよせずにいられない時は、くよくよし、悲しまずにいられない時は、素直に悲しみ、‥‥‥。そうせずにいられない私こそが、阿弥陀さまの救いの目当てであると、そのままよろこばせていただけばよいのではないでしょうか。
私たちは、亡くなった人を遠ざけるのではなく、悲しみが薄れるまで悲しみを抱えていれば良いのではないでしょうか。悲しさを悲しさとしてそのまま受け止め、見つめ続けていけば良いのではないのでしょうか。
無理をせず、そのままと気づかせていただくことだと味合わせていただいております。
.真実の「み教え」
豊頃町 大正寺 高田芳行 (2000年12月後半)
今の世の中は、物事が複雑に入り混じって混乱した社会であるといわれます。その原因は、人々の生活の中に宗教が生きていないからではないでしょうか。
社会の混乱は、そのまま人間関係の混乱であり、人間同士お互いのつながりが希薄になってきます。自分と他人とのつながりが見えにくくなってくるのです。そのためそれぞれの人間が自己中心的な考え方に支配され、エゴとエゴのぶつかり合いにより、その社会は荒れてくるのです。
今、社会には、この自己中心的な生き方が広がっていて、これが社会の混乱の原因となっているのではないでしょうか。
ある仏教者は、宗教は人と人とを結びつけるあたたかさ、優しさであり、接着剤のようなものであると言われています。宗教という接着剤が薄くなって力が弱っているから社会が混乱し、世界の平和がなしえないのではないでしょうか。
先日、出席した結婚式のお祝いの言葉の中で、「愛するということは、お互いを見つめ合うとともに、ひとつのものを見つめていくことである」と言われていました。
ここで言われている「ひとつのもの」とは、真実の「み教え」[みおしえ]ということではないでしょうか。真実の「み教え」とは、自分の欲望を満足できるとか、自分の思いのままに人生が送れることを教える宗教ではありません。自分の本当の姿を気づかせ、自分と他人とのつながりを知らせ、人生の方向を示してくれる教えが真実の「み教え」であり、お念仏の「み教え」であります。
お念仏を申す生活こそ、家庭生活、社会生活において、あたたかい人間関係を生み出す元であり、今の世の中にいちばん大切なことでしょう。