十勝組 2001年の法話
(2001年1月~12月)
輝いたいのち
新得町 新泉寺 高久教仁 (2001年1月前半)
新年明けましておめでとうございます。今年も“輝いたいのち”を生かさせていただきたいものです。
私はいま、私のいのちを生きています。しかし輝いたいのちを生きているでしょうか。
私はさまざまないのちを見つめています。ある時は、人間の都合で極寒の南極にとり残されながらも強く生き抜いた犬の物語を見て、命の尊さに心を打たれ、ある時は、パラリンピックで両手両足の不自由な選手が、五体満足なわたしよりずいぶんと速いタイムで百メートルを駆け抜けた姿に感動し、涙を流して拍手を贈ります。
しかしながらこれが私のいのちとなるといつも曖昧になっています。嫌
[いや]なことが続くと投げやりになったり、苦しいことが続くと、こうなったのは他人のせいだと思ったり、辛
[つら]いことが続くと「何で私だけが?」と悲劇の主人公になったり。楽しい時、嬉しい時だけは自分の手柄にして浮かれて天狗になっています。まあなんとその鼻の高いことか。
お釈迦さまは、このようなわたしのいのちに対して次のことばをなげかけてくださいます。
麗[うるわ]しく、艶[つや]やかに咲く花でも薫[かお]りのない花があるように、善[よ]く説かれたことばもそれを実行しない人には実りがない
と。
花に“いのち”を見るのは、その花に薫りがそなわっているからです。その薫りに虫たちが誘われて蜜を吸いにくるのです。どんなにみごとな造花でも薫りがなければ花にいのちがあるとはいえません。それと同じように、善く説かれたことばも、私が実践しなければそのことばはいのちを持たないのです。仏さまのことばは私に“いのち輝け!”と呼びかけているのです。
阿弥陀さまは常に、私に「浄土に生まれよ! 念仏せよ!」と呼びかけてくださっているのです。さればその呼び声にしっかりと私自身が応えていくことが念仏者の道でございましょう。
ナモ・アミダブツ
ナモ・アミダブツ
.阿弥陀さまの光明
清水町 妙覚寺 脇谷暁融 (2001年1月後半)
新しい年に変わるだけでなく、今年は21世紀の始まりとなった歴史的な年でもありました。同時に季節は大寒の頃となり、雪や寒さ、あるいは健康などと気遣いが多い時期でもあります。皆さんはお変わりないでしょうか。
昨年末の当時を過ぎて、ほんの少しではありますが日の暮れる時間が遅くなって来ているのがわかるようになりました。寒さはこれからが本番ですが、日の光が少しでも長く感じられるようになると、やはりうれしいものですし、やはり安心感が得られるようにもなります。そうやって日の光を考えます時、私たちの人生を照らし出してくださる阿弥陀さまの光、「光明」[こうみょう]について思いが至ります。
凍てつく冬の夜、それはまさしく私たちの人生においては私自身の心の闇を表しています。そのような過酷な長い夜を過ごしていながらも、私たちは自分だけはそんな夜とは無関係だと思ってはいないでしょうか。いくら外が闇であり凍てついていようとも、私たちは暖房のきいた明かりのついた部屋でぬくぬくと過ごしていて、そんな長い夜とは関係ないと思ってはいないでしょうか。
突然、何かの原因で電気が止まったとしたら、ストーブも蛍光灯も意味をなさなくなりますよね。十勝の冬において、そのような状態が襲ってきたら、本当に生き死にの問題となってしまいます。
本当はそれ以上に問題のはずである、私自身の心の闇について、深く見つめ直してみようとも思わない、見つめ直す気にさえなれない、闇があることさえも気づくことのできない私自身に向かって、その闇の深さをひたすらに示してくださっているのが、阿弥陀さまの光、「光明」のはたらきであります。闇と言われるものは、たとえ僅かな明かりであったとしても、打ち破られていくものであります。闇があるということは闇の中にずっといては気づくことが決してできないものです。光に照らし出されることによって、初めて闇の中にいたのだと気づかされるものです。その阿弥陀さまの光のはたらきが、私たちの耳に音として届けられているのが、お念仏「南無阿弥陀仏」[なもあみだぶつ]の響きであります。
そうやって日の光が少しずつ延びて来たことに安心感が得られるように、私自身の闇の深さが知らされていく光のはたらきは、私たちの人生において、ゆるぎのない安心感を与えてくださいます。
.お仏壇は、どうして必要なのでしょうか。
中札内村 真光寺 桃井浩純 (2001年2月前半)
最近は核家族化がより一層進み、また世代交代の時期とあいまって若い人だけの家庭も多く、時々こういう質問を受けることがあります。
「お仏壇は、どうして必要なのでしょうか。まだ家では亡くなった人もいないし、お位牌もないのに‥‥」
今回は、このことについてお話させていただこうと思います。
十勝はその昔、歴史をたどりますと、越中・加賀・安芸[あき]団体の、お念仏の繁盛している地域の人たちが、開拓入植者として来られたところと聞いております。その人たちが入植されるときには、必ずご本尊とお仏壇をお持ちになって来られ、お念仏のなかに生かされた生活を送られ、そして子どもも成長して分家をするときには、必ずご本尊を持たせて分家をさせたと聞かされました。
しかし、現在ではその姿はほとんど見られなくなりました。というのは、お仏壇は死者を祀[まつ]る場所、お位牌を置く「位牌壇」などと、いつの頃からか考えられるようになったからだと思われます。こうした考えであれば確かに現実ではお仏壇は必要ないのかもしれません。果たしてそうなのでしょうか。
私は、お仏壇というのは、ご本尊をご安置する場所であると思っております。そのご本尊とは仏さまのことであり、私たち真宗にあっては阿弥陀さまのことであります。それでは阿弥陀さまとはどのような仏さまなのだろうかといいますと、すべての生きとし生けるものを完全にお救いくださる仏さまで、「いつでも真実の世界に帰ってこいよ」というお心、また、「どんなことがあっても必ず救いとるぞ」との願いがこめられていて、私たちをいつでもただちに救おうというお心がはたらいていてくださるのです。
私たち人間は、だれしもが自分の持ち味、色を出して精一杯生きたいという願いを持っているはずです。しかし、現実は真実に背き、ひたすら目先のことだけにとらわれて、急がなくてもよいことを急ぎ、争わなくてもよいことを争っているのが私たち人間の姿ではないかと思います。そういう浅ましい私たちを老少善悪[ろうしょう ぜんまく]のへだてなく、お救いとって捨てないというのが阿弥陀さま、つまり仏さまなのであります。
その仏さまをお仏壇にご安置するのですから、お仏壇は家に窓があるように、私たちの心の窓となるものであり、生活全体のよりどころとなるものなのであります。
したがって、お仏壇を中心とした生活、つまり、阿弥陀さまのご本尊を常に心にとどめ、日々お念仏申す生活を送ることによって、真実にめざめた生き方が開けていくのではないかといただいております。
お精進料理の心を大切に
幕別町 義教寺 梅原了圓 (2001年2月2半)
私たちは、永遠の時の流れの中に我が身をおきつつ、「今」という人生の積み重ねをいたしております。「生かされ支えられてある我がいのち、人生」を、こと改まった中でなく、人生日々、一歩一歩の歩みのなかで味わいうる私でありたいと願うものであります。
さて、私たちは、日常の歩みの中で「精進」という言葉をよく使用しておりますが、仏教の中でこの言葉は、どのようなことを意味し使われているのかについて、まず触れてみたいと思います。
日常よく聞く言葉に「精進潔斎」
[しょうじんけっさい]「精進料理」等の用語があります。この「精進」
[しょうじん]という言葉は、日常よく使われるようになった仏教用語の一つで、これは、お釈迦さまが悟られた中で、八つの正しい道が示されていますが、その6番目に「精進」があげられています。この言葉は、本来、悟りを開くための仏道修行において積極的な努力を継続することを言い、この意味から広く日常的に一心不乱に励むことを「精進する」とも表現し使用されるようになったものと考えられます。
次に、「精進料理」について触れてみたいと思います。このことは、一般的には魚・肉を避け、菜食して不殺生の戒を守れば、「精進」の道にかなうとされたことから、今日では魚・肉を食べないことを指して「精進料理」と言われるようになったものと考えられます。
「精進料理」は、古くは平安時代から行われていたようで、鎌倉時代以後は、一般民衆の中にも普及して仏事などに用いられるようになったと言われています。
私たちのいのちは、あらゆる命の犠牲の上に成り立っているのであり、そうしなければ生きていけないのが私どもです。だが私たちは、毎日いただいている食物に、命を見つめいただいているでしょうか。感謝する心すらも失いつつあるのではないでしょうか。「たべ物」として、命を物質化し、命の尊さを失いつつあることは、自我中心の世界であり、他の命の喜び、悲しみ、苦しみ、痛みを受け止めることのできない一人一人となっていくことではと危惧するものです。そして、このことは、あらゆる命の尊きことを見失い、ひいては、自らの命の重きことをも見えなくしていっていることに、気づかなければなりません。現代社会のさまざまな事象が、物語っています。
「精進料理」の心は、あらゆる命の連帯性と尊さを教えてくれる大きなご縁であります。最近、よく自らの健康に関わっての「精進料理」が言われますが、仏教本来の「精進」を自ら、その心に学ぶ意味での「精進日」、「精進料理」を大切にして欲しいと思う次第です。その行ないのもつ意味は、大きいものがあります。
私ども、一人一人が、日々、平生心の心の中でその精進の心を学びいただいていければと願う次第です。
合掌
なぜ人を殺してはいけないのか
音更町 西然寺 白木幸久 (2001年3月前半)
昔の寒さはこんなものじゃなかったという話をよく聞きます。今年は結構しばれたように思いましたが、いかがお過ごしでしょうか。
それにしましても、連鎖反応的なと言ったらいいのでしょうか、このところの少年犯罪には年頃の子を持つ親ならずとも、気にかかるところです。昨年を振り返っても、17歳の男子生徒が主婦をナイフでめった突きにして殺す事件がありました。「人を殺す体験をしたから」からだそうです。その2~3日後、17歳の少年が高速バスを乗っ取り、老女一人を包丁で刺し殺し、乗客を人質にして15時間以上逃走する事件が起きました。翌月には、17歳の男子生徒がバットで下級生を殴り、自宅で母親を同じバットで殴り殺してから、自転車で逃走する事件がありました。
どうして、少年の凶悪な事件が次から次と、こうも起きるのでしょう。「17歳の心の闇」ということが盛んに言われませ有我、少年の凶悪犯罪は氷山の一角が現れたにすぎません。「子どもの心は一体どうなってしまったの」と危ぶむのも無理なからぬところです。
「なぜ人を殺してはいけないのか」。
この問いは、テレビの某
[ぼう]討論番組で、ある若者が何気なく発し、その場に居合わせた、名だたる大人たちがうまく応えられなかったことで、すっかり有名になってしまいました。皆さん方でしたら、何と答えますか。ちょっとギクリとしますが、いい若者が公衆の面前で質問すること自体、とても心配になります。殺された人のこととか、その家族のこととかを思いやることはできないものでしょうか。悲しんでいる姿を少しでも想像できれば、そんな質問は思い浮かばないはずです。
毎日毎日どこかで、人殺しが行われているのは事実です。ある人は殺された人の怨みを晴らすために、ある人はかーっとなって、ある人は嫉妬して、ある人は欲に目がくらんで云々、人を殺した言い分はいろいろあるでしょう。だからといって、「人を殺してはいけない」という大事なきまりを破ってもいいということにはなりません。もしそうなれば、この社会は滅茶苦茶になってしまうでしょう。
私とて一人たりとも人を殺したくはありません。皆さん方もそう思っていることでしょう。しかし、親鸞聖人がおっしゃっているように、悪を慎
[つつし]もうと思っていても、ひとたび業縁
[ごうえん]に触れたなら、どのような振る舞いをするかわからない、自分でも手がつけられなくなり、人殺しさえしでかしてしまうかもしれない、それが私たちの姿なのです。ナイフでもって人を殺さないまでも、口でもって、あるいは行動や態度でもって、はたまた心でもって、人を傷つけ殺していることに気づくべきです。
考えてみるに、それこそ地獄行きの、そら恐ろしい私たちですが、それでも、仏さまは私たちを見捨てることなく、「そのままでいいから生きよ」と励まされる、お救いくださっているのです。本当に、仏さまのお慈悲には感謝して生きていかねばなりません。しかし、仏さまがお救いくださるのだからといって、くれぐれも、故意に人を殺さぬように。そして、坂者たちには、ナイフばかりが人を殺すのではないということを教えてあげましょう。それが、若者より少し先に生まれ、人生経験を積んだ者の務めだと思います。
合掌
.人生とは独り旅である
音更町 浄信寺 御幸誓見 (2001年3月後半)
厳しい寒さの続いた今年の冬も、お彼岸が近付くにつれ、ようやく寒さも緩み初めてきました。昔の方が言われたように、暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものです。季節はめぐり、また暖かい春が訪れようとしています。
さて、お彼岸になるとお墓や納骨堂などに多くの方がお参りに出かけられます。先立たれた方へ思いをはせていらっしゃるのでしょう。それぞれの人生を思い出しているのかも知れません。
ところで、人生で陥りやすい失敗のひとつに、地位とか、名誉とか、いい家とか、子どもとか、人生の中途の目標を、最終の目標と錯覚することにあるのではないでしょうか。
人生の最終の目標は何か。簡単に言えば長生きをして平気で死ねることだと思います。人間も自然にかなうような生き方を続けると、生まれたときの苦しさが分からなかったように、死ぬときも悠揚、泰然、安らかに「さようなら」できるのではないかと思うのです。地位と金もあり幸せと見える人生を送ってきた人、そういう人であっても最期はあまりにも惨めな場合が多いということを数多く見聞きするものです。
知らず知らずのうちに周りを不幸にしていく人もいるし、その反対にいつの間にか、かかわる人に幸運をもたらす人もいる。この二人の死にようは同じであるはずがありません。
死に直面した時、人は全ての衣を脱がざるを得ません。何によって生きてきたのか、いかに取り繕おうと、そこにその人の本質が映し出されます。死ぬのはいやだ、死ぬのは怖い、と怯えながら死を迎えるような生き方はしたくありません。
死への恐れを感じながら死ぬことと、平気で死ねることとの間にこそ人生の幸不幸の分かれ目があるのではないでしょうか。
人間50を過ぎたならば、自分で自身の終末医療を用意しなければなりません。死を考えることは、自分の人生に関与する最初の原点でもありましょう。死を学ぶことは、より良き生への門口でもあると思います。
浄土真宗のお経のなかの、『仏説無量寿経』
[ぶっせつむりょうじゅきょう]に、我々の一生について「独来独去無一随者」とあります。人生とは独り旅であるというのです。そんな独り旅を悲しむものがあるからこそ救わずにはおれないと、道を開かれた仏さまがいてくれています。
生と死を考えてみる、そんなきっかけにお寺に足を運んでみてご法話を聞いてみるのもいかがでしょうか。
合掌
.南無阿弥陀仏というお念仏の心
帯広市 南豪寺 竹中偉晃 (2001年4月前半)
4月は心わきたつ新しい年度の月であります。草木は新しい芽を出し花を咲かせ、学生は入学・進級と、また、社会では新社会人として活躍していく新しい門出の4月といえましょう。そして、4月は仏教徒にとって大切な月でもあります。
4月8日は、お釈迦さまの誕生日、降誕会[ごうたんえ]でもあります。帯広市内の各宗派、お西・お東・禅宗さん・日蓮宗・真言宗など、23ヵ寺の集まりであります帯広仏教会にても降誕会を行っています。4月はまだ寒いものですから5月に行いますが、2001年は5月19日、土曜日、十勝プラザにて午後2時よりお稚児[ちご]さんのパレード、そして灌仏法要[かんぶつ ほうよう]と盛大に行われます。
お稚児さんの募集もおこないます。その募集内容は2001年4月11日付の十勝毎日新聞に掲載しますのでご覧ください。
最近、仏教徒にとって悲しい出来事が起こりました。それは世界遺産でもある、アフガニスタンにあるバーミヤン巨大石仏の遺跡が異教徒によってことごとく破壊されたことです。悲しいことです。
バーミヤン遺跡は3世紀から6世紀にかけてつくられたもので、『西遊記』のモデルでも有名な玄奘三蔵[げんじょう さんぞう]も、金色[こんじき]に輝く石仏にお参りされたそうです。
バーミヤンは東西文明の十字路の位置にあり、東西文化の接点として非常に重要な遺跡でありました。一度消えた歴史の遺産は二度と元には戻らないのであります。日本画家の平山郁夫氏も遺跡の破壊に強く反対され、破壊後も悲しんでいる姿をテレビで拝見しました。
私たちは今、どのようなことがあろうとも、命をもって生きています、善きにつけ、悪しきにつけ、みなご縁に生かされている、そういう日暮らしを、そういう命を、いま私たちはいただいております。そうすると、死んだらどうなるのでしょう、死んだらどこかへ行くのですか、死んだらなくなるのですか、ご縁によってかろうじてこの世に存在しているのに、ご縁が尽きれば、もとに戻るだけでしょう、しかし、もともとゼロなんだから、死んだらなくなるというのではないのです。もとに変えるのです、ご縁によって、ただいま、こういう姿で、ただいまのこの瞬間の命をいただいておるけれども、この世の生死[しょうじ]の縁が尽きたら私を私たらしめてくださった命の世界へと帰らせてもらうのです。だから、なくなるのでないのです、もとに戻るのです。
もとに戻るということは、ふるさとへ帰るということ。この私を私たらしめてくださった大いなる世界に帰らせてもらう。私たちがどんなに命のふるさとを忘れていても、捨てようとしても、命のふるさとは待っていてくれます。それへの目覚めが「帰命無量寿如来」ということです。そういう如来の命に帰ります。帰命というのは、命に帰るということです。無量なる命に帰らせてもらいます。
私たちは、図らずもご縁によって人間としてのただいまのこの瞬間々々を、歓んだり、悲しんだり、悩んだり、苦しんだりしながら、瞬間々々の命をいただいておりますけれども、そのご縁が尽きたら、命をいただいた命の世界へと帰らせてもらいます。それが「帰命無量寿如来」。
私というのは、私が生きているのではないのです。無量なる命の世界が、私となってくださっている。無量なる命が私という姿をとってくださっている、ですから、波が一瞬のうちに消えて海に戻るように、私という命が終えたときには、私という命となってくださった無量なる命の世界へと帰らせてもらうのです。大きくて、広くて、深い、命の世界に私は帰らせてもらう、そういうふうにたとえることができると思います。
私たちは、一瞬々々の波のような命を賜って生きている、無量寿如来が無量なる命の世界が私となっていま息づいてくださっている。そのことを思ったら、すごいなあとしか言えないでしょう。もったいないということは、そういうことです。
「私はもともとゼロである、ご縁がなければ息ひとつできないこの私なのに、ご縁のもとで吸う息、吐く息をいただいて、そして一瞬々々の命を毎回燃焼させてもらっている。すごいな、もったいないな。」これが南無阿弥陀仏というお念仏の心です。
.子育ての途中で
芽室町 願恵寺 藤原昇 (2001年5月後半)
先日、五才の子どもを連れて買物に出かけました。迷子にしてはいけないと娘と手をつなぎました。そのとき、この間までは私の手の人差し指を一本つかんでいっしょに歩いていたのが、手のひらを合わせて五本の指でつないでいました。そのことに気づいて、大きくなったんだ、とうれしくおもいました。
以前、布教使の先生が、
子どもは、できたから子育てをしなければならない、のでなく、子どもは、授かったもの、子育ては「させていたく」のですよ。
と話されました。
平成7年に私が子どもを授かったときに、子育てのことをどうしようか、どうしたらいいのだろうか、と思った時にその言葉を思い出し、自分にできることをさせていただこうと思い、少し気が楽になりました。
最近、「今の子どもは怖い、キレたら何をするか」ということを聞きます。
何かを我慢していて、溜まりにたまっていたものが、何かのきっかけで爆発するようです。
森田真円さんが、
親が思うほど、子どもは子どもではありません。反対に、子ども自身が思っているほど彼らは大人ではありません。特に最近は自分の思いをうまく表現できなくなりつつあるように思えてなりません。
生活の規範を躾[しつけ]ることができないのは親の責任ですが、子どもの不安に向き合おうとしないことはもっと無責任であります。
子どもの命は親の命ではありません。仏さまから「預かっている命」だからこそ責任があるのです。その命は、仏さまになる尊い命なのです。親がこの尊い命を拝むようになれば、子どもの心の辛さをわかるようになれるのではないでしょうか。
と本に書かれています。
生まれ難い人間に生まれ、たくさんの生きものの生命をいただき、また、多くの人やもののお世話になって、生かされている私たちです。
たとえ失敗することがあっても、まわりの人から笑われるようなことがあっても、私たちには南無阿弥陀仏
[なもあみだぶつ]というあたたかい言葉と、はたらきがあるのです。
今と、ここと、私を力強く生き抜かせていただく、これが念仏者の生き方ではないでしょうか。
.阿弥陀さまにナマスティ
音更町 妙法寺 石田秀誠 (2001年6月前半)
「こんにちは!」
‥‥いきなり言われてビックリしましたか? 電話をくださった「今」にふさわしかったでしょうか。
私たちは挨拶するのにも、朝・昼・晩と時間によって変えてしますし、それに相手によってさまざまな敬語すらつけます。挨拶をされた時、せっかく挨拶されたのに、その態度でかえって腹立たしささえおぼえることもあるほどです。
以前インドに旅行しました時に知ったのですが、インドでは挨拶は、「ナマスティ」なんです。いつでも、誰にでも、「ナマスティ」なんですよ。驚きました。
「ナマスティ」というのは、「あなたを尊敬し、あなたにおまかせいたします」ということなんだそうです。道であった誰とでも「あなたを尊敬します。」と言うのですよ。素晴らしい挨拶ですね。
ところで、あなたは「南無阿弥陀仏」
[なもあみだぶつ]と言ったことがありますか?
お寺参りに行く方はいつもとなえているでしょうが、「お葬式」しか仏教に縁のない方も案外、その場の雰囲気でつい「南無阿弥陀仏」を口の中でつぶやいてしまった方もあるでしょう。
「南無阿弥陀仏」とは、どういう意味なのでしょう?
「南無阿弥陀仏」ととなえている人は「何を思って」となえているのでしょうか?
お葬式の時には、死んだ人が「間違いなく成仏出来ますように。」とお願いしてあげている人もいるでしょうね。「化けて出ませんように。」とお願いしている人もいるかもしれません。あるいは「私に祟
[たた]りませんように。」と、こわごわとなえている人もいるかも知れません。
「南無阿弥陀仏」は、他のところでもよく耳にします。あるいは、大病にかかっている時に早く病気が快方に向かいますように、とお願いしている人。あるいは上手にお金が儲かりますように、試験が合格しますように、交通事故にあいませんように、夫婦仲がうまくいきますように、世界が平和でありますように、‥‥と、さまざまなお願いごとをしている人。さまざまですよね。
「南無阿弥陀仏」とは、何なのでしょうか。
実は「南無阿弥陀仏」とは、インドの言葉に漢字をあてたのだそうです。「南無」
[なも]というのは「ナマスティ」のことなんです。ですから「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀さまにナマスティ」、「私は、阿弥陀さま、あなたを尊敬し、すべてをおまかせ致します。」と言っていることになるのです。
次に、「阿弥陀」とは、インドの言葉、サンスクリット語で「いのち限りなく、ひかり限りない」ということで、「いつでも・どこでも」ということです。「南無阿弥陀仏」ととなえることは、「仏さまの救いの願いが、この私のところまで届いてくださった。いま私はそのことに気づかせていただきました。有り難うございます。」と、言っているのです。
「いつでも・どこでも」ですから、言葉の訳をしらなくて、「南無阿弥陀仏」ととなえていても、あるいは、となえなくても、阿弥陀さまの願いは、一切のものに分け隔てなく届いてくださっているのです。
実は、阿弥陀さまの願いは、私がお願いしてから、「よし解った私に任せなさい。」というのではなく、私がお願いする前から、私のためにできあがってくださっているのです。阿弥陀さまのおはたらきによって、気づかせていただき、安心していける生き方がが出来たら幸せですね。
「南無阿弥陀仏」の願いを知った今、感謝と喜びのお念仏を称
[とな]えさせていただきましょう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
遠く宿縁を慶べ
音更町 報徳寺 佐藤誠 (2001年7月後半)
今年の高岡市の友人の年賀状に「今年は長野(飯田市)のKさんのお墓参りに是非行きたいです。」という便りが届きました。それでは「私もなんとかして行きたい。」という話になり、この間、行って来ました。
思えば不思議なご縁で知り合った3人。学生時代よく食べ、よく語り、ノートを見せてもらったり、一時期Kさんとは寝食を共にした仲でした。Kさんは、お姉さんと二人姉弟[きょうだい]。19年前の12月の死でした。以前は頑丈な体格の人でしたが、お気の毒な、悲しい亡くなり方だったようなのです。あとでその事実を知らされて以来、気にはしておったのですが、行けずじまいでした。高岡の友人のNさんとは22年振りの嬉しい再会でもありました。前もってご連絡を取り、お花やお土産品を送付して出かけました。飯田のお姉さんの出迎えにより、お墓参り、おうちに案内されての語りには、お姉さんは何度も何度も溢れる涙をぬぐっておられました。たった姉・弟の二人姉弟。すでにお姉さんのお父さんは40代で亡くなり、19年前には弟が亡くなり、7年前にはお母さんも亡くなり、喪主をつとめたという。お姉さんは看護師の道に進み高校以降の弟(K)さんのことは、あまり知らない部分もあったようで、僕たち二人の話や持参した写真などによって、埋もれた空間を取り戻していただいた部分もありました。
音更に帰って来てから、飯田市のKさんのお姉さんのお礼状に「心のつながりが希薄な世相にあって、本当の温[あたた]かさ教えられました。私も、これからの人生を良き心根[こころね]を持って生きていきたいと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。」とありました。
このたびのお参り、お出遇いは、ご開山[かいさん]さまの「遠く宿縁を慶べ」を味わう機縁でもありました。
.愛と財
新得町 立教寺 千葉照映 (2001年8月前半)
お釈迦さまは、「人生は苦なり」と仰せられました。中でも最も大きなものとして「愛と財」があげられましょう。
親子の愛、夫婦の愛、友との愛と、さまざまなものが挙げられます。愛情がなければ寂しい、虚[むな]しい人生でありましょうが、愛あるがゆえに苦しみも沸き起こって参ります。
いくら愛が深くとも、いつかは必ず別れなければなりません。愛し抜いた結果、殺人までも犯してしまう人、自殺という道を選んでしまう人、悲しく、目を背けたいことではありますが、お釈迦さまが人生苦の一つとして「愛」を挙げられるのも頷[うなず]けます。
次に「財」ということであります。実際の生活においてこの財、すなわち経済に悩まされることも多いのではないでしょうか。
私の生まれたころから見ても、現代の経済状態はかなり恵まれたものになっております。
戦後の日本は、お金を出しても食べるものがなかったと聞かされております。しかし、現代は衣・食・住、どれ一つとっても財力さえあれば何でも手にはいるでしょう。
私たちはより良い生活をしていくためにこの財を求め、なければ無いで悩み、あれば有ったでまた悩まなければならないこともあり、苦しみを生み出す原因であることに間違いはないようであります。
私たちはこの「愛」、「財」を追い求め、喜び、また苦しんだりの繰り返しをしているのであります。
お釈迦さまは、私たちが必死になって追い求めているものが実は苦しみの原因ですと仰せられているのであります。喜んでおれる時もありますが、突如苦しみに変わってしまうこともあるということであります。
永遠に変わることのない喜びとは何か、静かに手を合わせる中で今一度考え直してみたいものであります。
.報恩講のご縁
大樹町 光教寺 岩崎教之 (2001年11月前半)
秋が深まってきたこの時期、各お寺や家庭では、報恩講[ほうおんこう]が勤められます。
私のお寺は9月の初めにお勤めしています。
報恩講は、浄土真宗のみ教え(みおしえ)を開いて私たちにお示しくださった宗祖親鸞聖人(しゅうそ しんらんしょうにん)の、そのご苦労を偲んで営まれる一年でもっとも大切な法要です。
弘長2年(1262年)11月28日、親鸞聖人は90歳を一期としてご往生されました。90年におよぶご生涯は、まさに苦難の道でありました。しかしそれは、弥陀の本願を信じ念仏に生かされることによって、そのまま真実への白道となったのであります。
「南無阿弥陀仏」(なもあみだぶつ)とこの口に出る念仏を「引き受けた、安心しておくれ」と、わが身に喚びかけてくださる如来の声を聞き抜かれたのであります。「南無阿弥陀仏」と称[とな]える念仏は、そのまま如来さまの凡夫への喚びかけであります。それに呼応して「ありがとうございます。もったいないことであります。おはずかしいことであります。」と応えずにはおれない身にしていただくのであります。
その聖人を慕い、そのみ跡(みあと)を偲んで大切にお勤めしてきたのが報恩講であります。
親鸞聖人の祥月命日は11月28日と申しましたが、これを新暦に改めると1月16日になり、この日を「御正忌」(ごしょうき)といいます。ご本山[ほんざん]では毎年、聖人の御正忌に合わせて1月9日から16日までの7昼夜、法要が勤修[ごんしゅ]されます。このご本山の法要を「御正忌報恩講」といいます。
各お寺や家庭での報恩講は、ご本山より日時を引き上げてお勤めする慣例でありますので、「お取り越し」とか「お引き上げ」ともいっています。
わたくしたちは、宗祖親鸞聖人がお示しくださったお念仏のおこころを、家庭のお内仏の前で、そしてお手継ぎのお寺の本堂にお参りし、この身に、今日も阿弥陀さまのあたたかい、おはたらきを受けていることを味合わせていただきたいものであります。
なお、帯広別院は11月13日から16日まで、また、各お寺もこの時期に多く報恩講をお勤めいたしますので、どうぞお参りくださいませ。
.“ぞうきん”のいきざま
大樹町 誓願寺 頓宮彰玄 (2001年11月後半)
仏の世界を詠んだ詩に
ぞうきんは
他の汚れを一生懸命拭[ふ]いて
自分は汚れにまみれている
榎本栄一
というものがあります。
ぞうきんは、窓の汚れを拭いて、柱の汚れを拭いて、タタミの汚れを拭いて、机の汚れを拭いていく、そしてボロボロになって捨てられていく、そういう生き様をしていく者のことをぞうきんというわけでございます。窓の汚れは私の問題なんだ、柱の汚れが私の汚れなんだと、自分の問題ですから、そこには誰のためにしてる、犠牲になっているんだという思いのない世界があるわけでございます。
私どもは何かをしても家族のため、子どものため、職場のため、公
[おおやけ]のために犠牲になっているという思いが捨てられない、だからそれに見合うことがないと「誰のためにやってると思ってるんだ」という怒りに変質してしまうのです。犠牲になっているという思いがある間は、それは愚痴になっていく、怒りになっていくわけでございます。
“ぞうきん”とは、そういう思いのまじわらない世界、これはぞうきんに「仏」という世界を詠んでいるのです。
西元先生は、「自分だけが極楽に行きたい」、これは仏教ではないと、「世の中の人々が極楽にいけるのなら自分は永遠に地獄に落ちてもかまわない」、これが仏教だとよくおっしゃっていました。
そして私どもはぞうきんにはなれませんと、ぞうきんになれない、人を拝めない、傲慢な自分を知る、せめてそのぞうきんの尊いお心の一端をいただいて生きる、それが信に生きる、如来さまに遇うていくということなんだと。そこからは少しでも他の命の痛みを痛みとして、悲しみを悲しみとしていかずにおれない私に作り変えられていく、それが「利他
[りた]真実の信心
[しんじん]なり」と示された宗祖
[しゅうそ]のお心であり、社会へと関係していく「信心」として伝えられた、私どもが生きる道標
[みちしるべ]なのです。
.報恩講という、ご縁。
音更町 光明寺 臼井公敏 (2001年12月前半)
本年も「先生が走る」という“師走”を迎えました。
十勝地区の寺院もそれぞれ報恩講を終えたことですが、今日は報恩講についてお話させていただきます。
報恩講とは本来、親鸞聖人の亡くなられたあと、御命日に教えを受けた人々が集まって聖人のご苦労を偲んだ、報恩感謝のつどいを言います。
一年に一度、日を決めて聖人の御恩に感謝する法要で、真宗信者の年に一度の「感謝の日」なのです。
聖人のご命日は、ご存知のとおり1月16日であります。この日に行われる法要を「御正忌報恩講」(ごしょうき ほうおんこう)と申します。昔はこの日にたくさんの方が、全国から歩いて京都へお参りに行かれました。そこで各寺や各家庭では、この日に先立って報恩講を行いました。いわゆる「おとりこしの報恩講」であります。法事を命日より早くするのを「とりこす」といいます。早くから気をもむのを「とりこし苦労」というのも同じ言い方で、早い日に引きあげて行うということです。
ちなみに前に述べました、1月16日ですが、西本願寺では1月9日より16日まで、東本願寺では、旧暦のまま『御伝鈔』にありますよう11月28日をご命日として行われます。
しかし、ただ聖人のご苦労に感謝するだけではないのです。聖人は私たちに、阿弥陀さまの救い、念仏の教えを、伝えるために、ご苦労なさったことを、忘れてはならないのです。
御恩に報いるには、私たちが阿弥陀さまの救いを聞かせていただき、念仏の道を知らせていただかなくてはなりません。阿弥陀さまのご苦労をきいて、感謝することが、聖人の御恩に報いる、ただ、一つの道であります。
また、報恩講は真宗門徒にとっていちばん大事な行事ですが、聞法[もんぽう]の仏縁はほかにもたくさんあります。ぜひお寺の法座に数多く遇っていただきたいものです。
.お仏壇は、どうして必要なのでしょうか。
士幌町 真徳寺 松浪浩之 (2001年12月後半)
最近は核家族化がより一層進み、また世代交代の時期とあいまって若い人だけの家庭も多く、時々こういう質問を受けることがあります。
「お仏壇は、どうして必要なのでしょうか。まだ家では亡くなった人もいないし、お位牌もないのに‥‥」
今回は、このことについてお話させていただこうと思います。
十勝はその昔、歴史をたどりますと、越中・加賀・安芸[あき]団体の、お念仏の繁盛している地域の人たちが、開拓入植者として来られたところと聞いております。その人たちが入植されるときには、必ずご本尊とお仏壇をお持ちになって来られ、お念仏のなかに生かされた生活を送られ、そして子どもも成長して分家をするときには、必ずご本尊を持たせて分家をさせたと聞かされました。
しかし、現在ではその姿はほとんど見られなくなりました。というのは、お仏壇は死者を祀[まつ]る場所、お位牌を置く「位牌壇」などと、いつの頃からか考えられるようになったからだと思われます。こうした考えであれば確かに現実ではお仏壇は必要ないのかもしれません。果たしてそうなのでしょうか。
私は、お仏壇というのは、ご本尊をご安置する場所であると思っております。そのご本尊とは仏さまのことであり、私たち真宗にあっては阿弥陀さまのことであります。それでは阿弥陀さまとはどのような仏さまなのだろうかといいますと、すべての生きとし生けるものを完全にお救いくださる仏さまで、「いつでも真実の世界に帰ってこいよ」というお心、また、「どんなことがあっても必ず救いとるぞ」との願いがこめられていて、私たちをいつでもただちに救おうというお心がはたらいていてくださるのです。
私たち人間は、だれしもが自分の持ち味、色を出して精一杯生きたいという願いを持っているはずです。しかし、現実は真実に背き、ひたすら目先のことだけにとらわれて、急がなくてもよいことを急ぎ、争わなくてもよいことを争っているのが私たち人間の姿ではないかと思います。そういう浅ましい私たちを老少善悪[ろうしょう ぜんまく]のへだてなく、お救いとって捨てないというのが阿弥陀さま、つまり仏さまなのであります。
その仏さまをお仏壇にご安置するのですから、お仏壇は家に窓があるように、私たちの心の窓となるものであり、生活全体のよりどころとなるものなのであります。
したがって、お仏壇を中心とした生活、つまり、阿弥陀さまのご本尊を常に心にとどめ、日々お念仏申す生活を送ることによって、真実にめざめた生き方が開けていくのではないかといただいております。