l
(法話タイトル) | (地域) | (所属寺) | (氏名) | (年・月) |
.「大きくなったら何になる?」 | 大樹町 | 光教寺 | 岩崎教之 | 2003.1 |
.「お念仏の信に生きるとは」 | 大樹町 | 誓願寺 | 頓宮彰玄 | 2003.2 |
.「お彼岸に思う」 | 音更町 | 光明寺 | 臼井公敏 | 2003.2 |
「悲戦」 | 音更町 | 西然寺 | 白木幸久 | 2003.6 |
「この身体[からだ]で聞く」 | 新得町 | 新泉寺 | 高久教仁 | 2003.7 |
.「お盆に問われる私自身」 | 清水町 | 妙覚寺 | 脇谷暁融 | 2003.7 |
「みえぬもの」 | 幕別町 | 東光寺 | 豊田信之 | 2003.8 |
.「「お父さんはどこへ行ったのでしょう?」」 | 清水町 | 寿光寺 | 増山孝伸 | 2003.8 |
.「智慧と知識」 | 新得町 | 立教寺 | 千葉照映 | 2003.9 |
.「揃っていることと、違っていること。」 | 音更町 | 妙法寺 | 石田秀誠 | 2003.9 |
「真の心の自由・その生活を送るために」 | 幕別町 | 義教寺 | 梅原了圓 | 2003.11 |
.「人生の一大事」 | 大樹町 | 光教寺 | 岩崎教之 | 2003.12 |
「誕生を見つめて・・・」 | 音更町 | 光明寺 | 臼井教生 | 2003.12 |
十勝組.com にもどる ご法話 にもどる |
寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしですか。北海道・十勝に住む私たちには、寒い冬は当たり前のことですが、特に今年の寒さは厳しく感じられます。また、先日は一日で50cmを超える大雪が降りましたし、本当に厳しい冬になっていますね。
さて、その雪のことになりますが、皆様は「雪がとけると何になるでしょう?」と聞かれると何と答えますか? 「それは水になるに決まっているじゃないか」 そう答えが返ってきそうですね。それはもちろん正解です。小学校4年生の理科の教科書にもちゃんとそう載っています。これは、科学的なものの見方からすれば当然の答えとなります。
しかし一方で、こう答えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。それは、「雪がとけると春になる」です。これは、なぞなぞの答えというのではなく、私たち北国の、雪に閉ざされた厳しい寒さの冬を過ごす者にとっての、実感としての答えであるといえましょう。日差しが暖かくなり、雪がとけてくると、「やっと春になったね」という、ホッと安心できる気持ちが表れている答えであります。「冬来たりなば春遠からじ」であります。こうした季節の移ろいの中で、今日、一日一日の“いのち”の有りようを見つめていくことが大切である、と気づかされます。
私たちはよく子どもに「大きくなったら何になるの?」と聞くことがあります。
「僕、野球選手になりたい。」
「私はお花屋さん。」
子どもはいろんな夢を話してくれます。
「そーっ。運動や勉強を一生懸命やって、立派な大人になってね。」そう励まします。
では逆に、大人になった私たちに子どもから「じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんは、大きくなったら何になるの?」と聞かれたら何と答えますか?
今さら、何になるなんて考えたこともないし、また、考えてもし方のないことのように思っているのではないでしょうか。これでは夢も希望もない、下向きの人生で終わってしまいます。
親鸞聖人は「本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなき」とお示しくださいました(高僧和讃)。阿弥陀如来の「必ず救う」という誓いは、たとえどのようなことがあっても、迷いの世界を空しく流転させはしない、という私へのはたらきであります。
ですから、子どもに対して「私は大きくなったら仏さまにならせていただくのですよ。ありがたいことです。」と言える大人になり、手を合わせ、お念仏申す人生を歩む姿を示して参りたいものであります。
ようこそのお聴聞[ちょうもん]でございます。
ご法話とは何か、お念仏の信に生きるとはどういうことか、ということについて「自信教人信」[じしんきょうにんしん]ということが言われます。“自ら信じ”ということは、私が何かを信じるというよりも“信ぜしめられる”、いただく、たまわる、ということですね。そして“教人信”、人を教えて“信ぜしむ”ということですが、ここが問題でございます。
私が京都におりました時、大変お世話になった先生に、西元宗助[にしもと そうすけ]という先生がいらっしゃいまして、戦後まもなくの頃の金子大栄[かねこ だいえい]先生と、この西元先生の問答というか、対話が残されています。
西元先生はシベリア抑留を生き延びて日本に帰ってくるんですが、先生はシベリアで深い宗教体験をなさって、南無阿弥陀仏に支えられて“生き抜いた”ということがありました。
金子先生はそれを知っておられまして、
「西元さん、あなたはシベリア体験を通して、もうあなたの信心は合格した、これから“教人信”で我々いたらん者を教えるためにご苦労なさるおつもりでしょうね」
とおっしゃった。これはまったくその通りで図星だった。西元先生はうなずかざるを得ない。そこで金子先生はこう通続けられたそうです。
「金子は違います。戦後の混乱した日本社会、その一切の人が救われねばならない、救われるために、金子は一生涯かけて、仏さまのお聞かせに預[あずか]ります。“自信”のほかに“教人信”はございません。西元さんどうでしょうか?」
あの金子大先生にしてそう言わしめる世界、これからは「教人信」などと、自分は何という傲慢な思い違いをしていたのか。西元先生は、そのことを教えてくださった金子先生に、唯々頭が下がらずにはおられなかった。この教えは私に一生涯の教えでございました。‥‥西元先生はそうおっしゃっておられます。
ここに、教えようとする言葉に教えられたことはない、教えられたという後ろ姿に教えられていく、“教人信”の真実、相続の真実がございます。
ご法話とは何か? 信に生きるとは何か? ということが、50年も昔に、すでに答えていただいてあったことを、まことにうれしくいただかせていただくことでございます。
お電話、ありがとうございます。来月は春の彼岸なので、お彼岸のお話をさせていただきます。
ご存知のように、春分の日と秋分の日を「お中日」[おちゅうにち]として、前後三日間、計一週間を、それぞれ「春の彼岸」・「秋の彼岸」と申します。
お彼岸というと、家でぼた餅を作って、お墓や納骨堂にお参りする行事だというのが、一般的ではないでしょうか。
「彼岸」とは「到彼岸」とも言います。
「到彼岸」の「到」[とう]は「到着」の「到」です。「いたる」と読みます。
では、何処に到るのでしょうか?
私たちが現在生きているこの世、迷いの世界の「此の岸」[このきし]から、さとりの世界の「彼の岸」[かのきし]に到るのです。
自分の生活を省[かえり]み、祖先や人間の思いに感謝し、阿弥陀如来の誓いの船に乗せられて、悟りの彼の岸に到るしあわせをよろこぶのであります。
私たちの人生とは、自分の思いとおりになりたいと努力もするが、どうにもうまういかない、どちらに転んでも不足や愚痴しか出てこない、そしてあげくの果てには、人生のむなしさと、けだるさだけが待ちかまえているという、救いようのない、人生のやりきれなさ、この世の問題でありながら、この世の努力や精進だけでは解決できるものではないところに彼岸を願うこころがあるのだろうと思います。
現代の科学的な実証的な教育を受けた私たちにとって、彼岸はすんなりとは信じがたくなっているようです。信じないのではなく、信じられなくなってしまっているのです。
拝まないのではない、拝めなくなっているのです。
お中日には、各お寺でご法座[ほうざ]がありますのでぜひお寺に足を運び、お聴聞[ちょうもん]したいものです。
その折々に、阿弥陀さまのご本願のおいわれを聴聞し、この私自身をみつめなおしたいものです。
アメリカのブッシュ大統領がイラクへの戦闘終結宣言をしてから、1ヵ月がたちました。アメリカの圧倒的な武力のもとで、独裁者のフセイン政権はあっけなく崩壊してしまいました。しかし、戦争が起きたことによって、また新たな、深い悲しみが生まれました。とりわけ、私の心には、新聞に掲載されていた、12歳の少年の写真がこびりついています。それは、両腕のひじから先を失い、上半身大やけどを負った姿でした。バグダッドの少年の自宅に、アメリカ軍のミサイルが直撃したために、居合わせた両親・きょうだい10人が死亡し、少年だけがただ一人助け出されたというものでした。
皆さん方も「何と気の毒な」と思われることでしょう。でも同時に、「自分はこんなひどい目にあわないでよかった」と、心の片隅で、ほっと安堵してはいませんか。「こんな悲惨で残酷なことが二度と起きませんように」と願うのでしたら、一緒に「人と人が殺し合う戦争に反対」と強く訴えかけていきましょう。
今回、私どもの浄土真宗本願寺派に属する十勝管内のお寺42ヵ寺では、まだアメリカとイラクが戦争中だった3月末と4月初めに、十勝毎日新聞と北海道新聞に、意見広告を出しました。「悲しい」と「戦い」という字をあてて、「悲戦[ひせん]」という新しい言葉を、太字で大きく掲載しましたので、見た人もいるかもしれません。
人間はお互いに助け合わなければ、生きていくことはできません。それなのに、人間同士、命を奪い合うために戦わなければならない状況におかれるのはとても悲しいことです。すべての生き物にとって、命は愛[いと]しいものですから、自分の見に置き換えて、「殺してはならない。殺させてはならない。」というのが仏教の基本的な教えなのです。たとえ、どんな理由があるにしても、人を殺していい理屈などあるはずがありません。
もともと今回の戦争は、2001年9月にニューヨークで起きた、同時多発テロに対する報復が発端となっています。しかし、報復は新たな報復を繰り返すことになるのは、歴史をみればわかります。
仏教では「もろもろの怨[うら]みは怨み帰すことによっては、決して鎮[しず]まらない。もろもろの怨みは怨み返さないことによって鎮まる」と説いています。
確かに、大事な肉親を奪われた怨みは、鎮めようと思っても、すぐに鎮まるものではありません。それでも、我が身にひきあてて、自分にとってイヤなことは他人にとってもイヤなことであり、他人の悲しみや苦しみが自分のことのようにわかるようになっていく、そんな仏教の精神を少しでも身につけさせていただくことで、怨みが鎮められていくのを待つしかありません。
20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれましたが、仏教者として、奪われた命を尊び、21世紀が「平和な世紀」になるのを願わずにはいられません。
お寺によくお参りに来られるお婆さんの中に、いつもトイレの前で手を合わす方がおられます。
お婆さんは毎朝、目が覚めると、「あぁ、目が見えてくださる有り難いなあ。あぁ、手が動いてくださるありがたいなあ。あぁ、足が動いてくださるありがたいなあ」と思うそうです。また、庭で草を取る時には「せっかくここまで大きくなったのにすまんなあ、すまんなあ」と草一本一本にあやまりながらの作業だそうです。
このお婆さんのお姿は、一体どこからくるものなのでしょうか。それは昔、子だくさんで食べることさえままならず、学校へも満足に行かせてもらえなかった時代に、必死でお婆さんら子どもたちを育ててくれたお母さんの後ろ姿でありました。お婆さんによると、「母は字も書けず無学であったが、いつでもどこでも誰にでも感謝、感謝の人出、とても優しい方であった。そんな母の心をいつでも“感じて”生きてまいりました」と話をしてくださったことがありました。
今、このお婆さんと一緒に暮らしてるお孫さんがこの春、大学を卒業した時に、母親に「あなたが近所のみなさんから可愛がられていい子に育ったのは、みんなお婆ちゃんのお陰だね」とあらためて言われたそうです。大学出のお母さんは「学校にも行ってないおばあちゃんがみんなから認められるのに、自分はなぜ認められないのか」と、お婆ちゃんの生き方を深く考えられたそうです。
私たちは、たくさんの知識を持っています。また、日々発達する科学がすべてを解決してくれると考える人も少なくはないでしょう。しかし、大切なものを見失ってはいないでしょうか。
お寺に来られる人の中に、「お説教を聞いても少しも喜びが出てこない。一所懸命に聞いているけれども、ひとつも有り難くならない」と申される方がいらっしゃいます。それはただ仏法をことばで理解しようとして頭だけで聞いているからではないでしょうか。
お釈迦さまが「我が裳裾[もすそ]を取りて我れに従うとも、我れを見るにあらず、法を聞くものこそ我れを見るものである」と言われています。お釈迦さまの裾[裾]を持っていっしょに歩いていても、その姿を目の前に見ながらその声を聞いていても、真実のお釈迦さまに出会っているのではないのです。
“法を聞く”ということは“感じる”ことであり、こころからうなずくことであります。妙好人[みょうこうにん]と称された念仏詩人の浅原才市[さいち]同行[どうぎょう]は、「こころに当たるナムアミダブツ」と言われています。“こころに当たる”とは、仏さまのいのちが私の全身に響いてくださることです。教えが全身を通して入り込み、その人に働きつづけてくださることであります。仏法とは私のこの身体[からだ]を耳にして聞くことであります。
わしが阿弥陀になるじゃない
阿弥陀の方からわしになる
なむあみだぶつさいち
今回も、浄土真宗本願寺派 十勝組[とかち-そ]のテレホン法話にお電話いただきありがとうございます。
今年も、気づいてみたら、夏至を過ぎ、夏本番の時期になりました。今年の夏は気温の変化も多く、健康などの気遣いが多い感じがします。皆さんはお変わりないでしょうか。
暑さとともに、まもなく、各地の寺では、一軒一軒のお宅にお参りさせていただく、お盆参りが始まります。亡き人のさまざまなご縁をいただき、先代、先々代からお付き合いのあるお宅ばかりでなく、近年になってご縁をいただいたお宅もあれば、今年初めてお盆を迎えていただくお宅など、それぞれのきっかけが、それぞれのお宅にあってくださることと思います。
「お盆」という言葉は、インドの古い言葉「ウランバーナ」の発音に、漢字を当てたものと言われ、もともとの意味は「逆さづり」、逆さまに吊られた状態、いかにも少しの間も我慢できないような、苦しい様子を表しています。
人間は、頭が上にあり、足が地面に立つように、過ごしています。これを上下の頭と足を逆さに吊られるような状態は、日常の中では、まず経験することはありません。このままの状態を人間が経験すると「頭に血が上[のぼ]る」ということになります。この状態が長く続くならば、これは生き死にに関わる危険な事態とも言えます。
勘違いしていただかないように付け加えておきますが、亡き人が逆さづりのような状態にあるので、お盆に私たちが迎えたり送ったりして、亡き人を供養する、というのではありません。逆さづりのような状態でもがき苦しんでいるのは、亡くなっていかれた方ではなく、この私自身のたった今、現在のありようを示してくださっています。
それにもかかわらず、私自身のこととして受け取れないほど、「私は大丈夫だ」と思いこんではいないでしょうか。元気だから、若いから、お金が少々あるから、家族がいるから、まだまだ大丈夫だと、言い続けているのが、私自身ではないでしょうか。
逆さづりのような状態で生きているにもかかわらず、そのことにさえ気づけないで、大丈夫と言い続けている私自身の姿を、阿弥陀さまの目から見てくださると、いかにも逆さまのことをしていると映ってくださっているのです。亡き人は阿弥陀さまのお浄土から、この事実を私自身に問いかけてくださっています。
日々の生活に追われる慌ただしい中から、自分を振り返り、省[かえり]みることの出来ない私自身を心配して、この「いのち」について考え、「私」とは何かを問う大きな機会を作ってくださっているのが、お盆に参らせていただく最も大事なご縁です。
今一度、自らを南無阿弥陀仏のお念仏によって問うていく生活でなければなりません。
大正の頃、金子みすゞという童謡詩人がおられました。
金子みすゞは、昭和5年、26才の若さで亡くなっていますが、有名な詩人、西条八十[さいじょうやそ]先生から、「若き童謡詩人の巨星」とまで称讃されています。
その詩の一つ、『私と小鳥と鈴』という詩は、
わたしが両手をひろげても、とうたっています。いまひとつ、『星』という詩には、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面[じべた]をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる
昼のお星は目に見えぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
とあります。
こうした詩に、作者の、ものに対する思いの深さ、心のやさしさを感じます。
金子みすゞの童謡は、小さいもの、力の弱いもの、名もないもの、あたりまえと思われるものの中に、尊いものをとらえて詠んでいます。「みんな違ってみんないい」のことばに優しい思いが伝わってきますし、「昼のお星は目に見えぬ/見えぬけれどもあるんだよ/見えぬものでもあるんだよ」と詠んでいることばにも、尊い心のひびきがあります。
私たちは目にみえぬものはないと思いがちです。しかし、私たちの目は、真っ暗闇の中では何も見えません。光をいただいてはじめて見えるのです。目が見えるのも光のおかげです。
仏さま、仏さまのお慈悲というものも、目には見えないものです。しかし、目にみえないものはないのではなく、見えぬものでもあるのです。「おかげさまで」とよろこんで、「ありがとうございます」と仏さまのお慈悲の光のうちにある身をみつめつつ、限りある命を精一杯、日々あゆませていただきたいものです。
お電話ありがとうございます。
八月も後半に入りました。
以前、あるお父さんが、親戚のお葬式にお参りするために、道央のある町まで出かけました。葬儀会場までは何とかたどり着いたそうです。しかし長時間の旅で疲れがたまりすぎたせいなのか、もともと持病を持っておられたのかは分かりません。葬儀会場の受付にたどり着く前に心臓発作で倒れてしまい、救急治療の甲斐なくお亡くなりになられました。
突然の訃報の知らせを受けたご家族やご親戚の方々が自宅に駆けつけてみると、元気で出かけて行ったお父さんの変わり果てた姿に言葉をなくしてしまったそうです。これが夢なら醒めてほしい、今でもひょっこりと家に帰ってくるように思えて仕方ないけれど、突然起きた、予期できぬ現実。
ご遺族の方より「親戚の葬儀に行って突然倒れて亡くなりました。今、自宅に帰りましたので枕経をお願いします。」とお寺に連絡が入り、私も大変驚かされました。半月ほど前にはご夫妻そろって元気な顔でお寺参りに来てくれていたからです。面倒見の良い、義理堅い方でした。
お通夜の前に私が会場の点検をしていると、お子さんの一人から「お父さんはどこへ行ったのでしょう?」と聞かれました。「阿弥陀さまのおられるお浄土に行かれたのですよ」と返答すると、続いて「私のお父さんを連れていってしまったのは阿弥陀さまなのですね」と、阿弥陀さまがお父さんを故人にしたかのように聞かれてしまい、言葉に詰まりかけました。私は「お父さんが帰らぬ人となったのは、阿弥陀さまのせいではなく、迷いの世界ではないお浄土に生まれられ、いつも私たちを見守っているんですよ。そのお浄土におられるお父さんは遠いところにいるのではなく、お念仏を称えればいつでもあなたのそばに来てくれるんですよ」と返答したと思います。すると「いつでもお父さんに会えるんですね」と嬉しそうにうなずいていました。
今月は八月、お盆の月です。
今、私たちがここにいるのは、お浄土に還[かえ]っていかれた方々がおられるお陰です。亡き人の姿を見ることはできません。しかし、今、私たちの心の中でもしっかり生きているのではないでしょうか。人として生まれること・生きること・生き続けることも素晴らしいことですね。そう、生きていることそのものが素晴らしいことであり、出会いの喜びもあれば語らいの楽しみもあります。反面、苦しいこと辛いこともあります。生きていることに加えて、お念仏の日暮らしを恵まれていることの幸せ。先ほどのお子さんもお父さんの一周忌の法事の時、「今日はお父さんに会えるんですね」と、嬉しそうに言っておられました。
ご開山聖人[ごかいさんしょうにん。親鸞聖人のこと]の「遠く宿縁を慶[よろこ]べ」というお言葉の、亡くなられたお父さんのご縁として、人生の出会いを超えた、念仏成仏のご法縁にあえた慶びを、皆様とともに味わうばかりです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずる身とはなれ
智慧の念仏うることは
法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば
いかでか涅槃をさとらまし(『正像末和讃』34・35)
私たちの人生は価値の追究であると行って良いのではないでしょうか。
権力というものに価値を認める人、金銭に価値を認める人、あるいは健康に価値を認める人、また、物質的なものに価値を見出していく人など様々でありましょう。
私の部屋に置いてあるもののほとんどは、私にとって何らかの形で価値のある物ばかりであります。もし価値観をまったく認めないのであれば、恐らく捨ててしまうでしょう。私たちはその価値を認めたものを追究するために毎日毎日働き、そして一つ一つ手に入れていくのであります。
さて、そのものに価値を認めた存在、あるいはまったく認めない存在というものがあるかのように思えますが、実際には存在そのものに価値があるわけではないのであります。
その存在しているものを価値づけていくことの出来る力を「知識」と言うのであります。
ところが、その価値というものを見出すことの出来るものばかりが存在しているわけでありません。
たとえ価値を見出すことのできないものの中にも深い意味があるということを知る力を「智慧」というのであります。
たとえば、一輪の枯れてしまった花があるとしましょう。
枯れ果ててしまった花には価値はないかも知れませんが、その一輪の花が咲くためには去年の種がなければ、その前の年の種が、そして、光がなければ、水がなければ、さまざまな縁がなければ、咲くことはなかったのであります。
無限に永い生命の歴史がなければ、その花の存在そのものが無かったことを知るとき、そこには深い意味があるということを知らされるのであります。
たとえ価値なきものの中にも深い意味を感じ取る力を「智慧」と言うのであり、それを信心と言うのであります。
豊穣の秋になりました。春早くから丹誠込めて育てた作物の収穫の時期になります。「秋には一粒の雨もいらない。」と、農家の方は言います。天気を気にしながらの農作業が続きます。より良い状態での収穫を願って、寝る間も惜しんで、無理を承知で進めることもしばしばなので、疲れから来る病気と作業事故が心配です。
畑を見まわすと、どの作物も背丈が揃っていることにビックリします。スイートコーンや飼料用とうもろこしのデントコーンなどは本当にきれいです。
背丈が揃っているのはとても美しく見えます。採れる作物もかたちや大きさが揃ったものになっているようです。私たち消費者も、いつの間にか、お店で買い物をする時に、よりかたちの良いもの、揃ったものを求めています。ところが、生産者のところでは、かたちと大きさを揃えるのに、ものによっては、お店で並べられるものよりも多くのものがすてられているのだそうです。ニンジンも大根もキュウリも、そして多くの野菜などがそうです。
私も何かをする時に、まわりを見て、人に合わせようとする心が働きます。協調するのとは違って、当たり障りのないことを選んでいるのです。極端な表現をすると、自分と違った人がいると「変だな?」と思うようになってしまっているのです。恐ろしいことだと思います。
「野菜のかたちなんかどうでもいいや」「そのものを味わっていこう」と思った時、今まで忘れていたものに気づくこともあるかもしれません。
野菜も人も一緒だと思います。親と子・兄妹・姉妹・叔父叔母・友人・ことば・考え方・思想・政治体制・宗教・いままで生きてきた歴史・住んでいたところ・気候風土、‥‥どれも一緒に共有できたら楽しいことばかりです。しかし、違っている人もなんて多いことでしょう。この地球上でそれぞれが認めあって、ゆるしあって、支えあって、また時には知らないうちに人を傷つけていたりしている自分があります。そんな私を「それでいいんだよ」と、ほほえんでくださる方がおられるそうです。それが阿弥陀さまです。
大きな違いも、小さな違いも、それぞれの特徴としてみていきたいものですね。
私たちは縁あって尊い命をいただき、さまざまな思いの中、自由で満たされた幸せな生活を営むという目的のもと歩みを進めています。
幸せとは、どのようなものでしょうか。幸せだと感じることは、人によって様々な違いがあるように思われます。そして、突き詰めて考えますと、人のさまざまな行為というものは、実は幸せを求める中、その方向性を持っての手段を行っているに他なりません。幸せとは、その方に内在する心が、それぞれの思いの中で感じる世界なのです。その幸せを求めて生活を営む時、私たち一人一人が忘れてならないのは「共々に」ということであります。
菩薩さまの行の基本理念に、「自利利他円満」[じり・りた・えんまん]ということが説かれています。これは。私たち社会に生きる人々すべてが、大切にしなければならない基本的な生活指針でもあると味わうものです。すなわち、自らが行う行為が他をも利するものであること、幸せに導くものであって、他を害したり、悲しみを与えるものであってはならないことを、そのことは教えてくださっています。
私たちの心には、自己中心的な考えが内在します。そして、その心こそが、自らが求めている「共々に幸せでありたい」との願いから遠ざけている最大の原因と、仏さまは教えてくださっているのです。
それぞれが持つ自己中心的な姿が結果的に幸せを阻害[そがい]し、ひいては社会の様々な不幸を招いていることを、一人一人が自覚しなければなりません。仏法を自らの鑑[かがみ]とし、自らを常に見つめた生活を大切にしたいものです。その生き方が、「心の自由」につながる大切な道となるのです。
今、私たち日本人は、教育・科学・文化等、様々な面で恵まれた生活に身をおいているのでしょう。しかしながら、現実の私たちの歩みはどうでしょうか。日や数字によっての吉凶、あるいは、占い・祈祷[きとう]等に頼り、たたり・さわりを気にしながらの生活を送っている姿に直面します。現実は、決して真に自由な心の歩みとは言えない私にきづかされます。社会的には、言論・信教・結社・職業・婚姻等という自由が法のもとに保障されてはいますが、現実には内外にあっていろいろな問題を抱えております。また、私たちの心には、絶えず貪り[むさぼり]・怒り・愚かさから離れられない現実の自己があります。
このような様々な状況を抱える身にあって、如来さまの「み教え」[みおしえ]に出遇い、慈光のもと、お念仏を心に生きていくということは、どのような姿に生きることを示しているのでしょうか。ご開山聖人[ごかいさんしょうにん・親鸞聖人のこと]は、私たちに「念仏者は、無碍[むげ]の一道なり」とお示しくださいました。念仏者は諸々の心の束縛から解放され、真の自由の身にならせていただくという「念仏者の歩みの姿」をお伝えくださいました。
『蓮如上人御一代記聞書』[れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき]に述べられる「仏法を心の主[あるじ]とし」を自らの生活の中で大切にいただきたいと思う次第です。
どうか、今後とも仏法を聴聞[ちょうもん])するということを、日々、生活の中で怠りなく、と願うものです。
南無阿弥陀仏。
今年もいよいよ師走に入り1年がもう終わりますが、私たちが人生を生き抜いていくとき、さまざまな終わりがあります。学生生活の終わり、サラリーマンとしての終わり、そして人生の終わり。
どれをみても大切な人生の区切りです。それらの終わりを迎える時に、何とか充実した終わりを迎えたいと誰もが思い力をしますが、終わりが近づけば近づくほど、「ああもすればよかった、こうもすればよかった」という思いが強くなるものです。けっして怠けたわけではないのにそういう思いが強くなります。
源信和尚[げんしんかしょう 942-1017]は『往生要集』に、自分の人生が終わろうとしているにもかかわらず、肝心な自分の「いのち」の問題には全く無関心で、どうなっても大したことはない事柄の方が気になり、「あれもしたい、これもしたい」という人間の有りさまを示しておられます。
そして、せっかく人間として生まれさせていただいたのだから、人間の身勝手な思いに振り回されることなく、ひとときでも早く仏法を弔問して、もっとも大切なことは何かをはっきりさせるべきだ、と教えてくださっています。
では、いったい人間として最も大切で、このことだけは獲得しておかなければ、他の全てのことが意味を失うような事柄とは何なのでしょう?
私たちの日常生活は、日々煩悩に支配され、苦悩なしに生きていけません。その人間の根本苦から解放し、安らかな浄土へと導くために説き開かれたのが「お念仏」の「み教え」[みおしえ]です。そのみ教えは、凡夫である私たちが、阿弥陀如来の智慧の光に照らされ、自己と如来の真実を教えてくださるものです。それは、世俗の営みと煩悩の支配の中でしか生きることのなかった私たちが、如来さまのお言葉に耳を傾け、浄土をめざして生きる人間にお育てくださるものです。み教えに遇うことこそ「人間としてのいのちを生きる意味」なのです。
損得に縛られ、本当に大切なことは何かが分からない私たちを、如来さまは私たちに先立って心配し、途方もなく長い思惟[しゆい]の後、私たちを救うために与えてくださったお言葉こそ「南無阿弥陀仏」の名号なのです。
私たちは人間として「いのち」を恵まれました。そしてこの「いのち」は浄土へと帰りゆくべき尊い意味をもっていると知らされました。人間の身には終わりがありますが、この身の終わりが如来さまへの仲間入りと聞かされ、生と死を超えることができそうです。これもすべてお念仏のはたらきです。このはたらきをよろこべるかどうか・・・。これこそ人間としての一大事であります。
浄土真宗の教えとは、今を生きている、厳密に申せば生かされている、この私のいのちを見つめさせていただく教えであります。
私事になりますが、10月に子どもが誕生しました。私も出産に立ち合いましたが、陣痛が始まってから出産までの道のりは誠に険しいものであります。
「痛い痛い」と叫ぶ妻に何もしてやれない切なさや、弱音を聞くたびに10ヵ月間の努力やたくさんの思い出が浮かび、目頭が熱くなりました。
そうこうしているうちに、いよいよくらいまっくす。母子ともにいちばん辛い時期であります。私も助産師さんについて、「ヒーヒーフー、ヒーヒーフー」と声をかけます。そして12時間かけて、ついに誕生です。10ヵ月間母親の胎内で育ち、そしてこの世に誕生させていただいた姿はまさに感動そのもので、その時の感想はと言うと、「生まれて来てくれてありがとう!」の一言でした。出産後に先生より胎盤も見せてもらいましたが、これに対してもただ「10ヵ月間ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいでした。
一般的に、誕生は華やかであり、反対の死に関しては暗いイメージがあります。しかし浄土真宗の教えでは、生と死を別のものとは捉えず、「生死一如」[しょうじいちにょ]とあるように、一つのものと説きます。こうした中、お釈迦さまが説かれているように、いま生まれて来てくれた、この子もまた、「生老病死」[しょうろうびょうし]という厳しい現実を生きていかなければなりません。まさにいずれは迎えなければならない死への秒読みが始まったんだなと実感しました。
このように申しますと、「お寺さん、生まれた側から悲観的ですね」と思う方もおられるかもしれません。しかし決して悲観ではありません。これが事実なのであります。そしてまた、私もそのうちの一人なのだと再認識させていただきました。
現実の苦しみから目をそらさない。ありのままを見つめさせていただくのが仏教の教えであります。ですが、実際にはなかなか直視できないのがこの私であります。しかしながら、このような私を見捨ててはおられないと願われたお方こそが、阿弥陀さまでありました。
そして、「そのままの姿で救うぞ!」「ただお念仏を称えてくれるだけで、誰一人、漏らさずに救うぞ!」という阿弥陀さまのおこころを学ばせていたえだくのが、浄土真宗の教えであります。
この度の子どもの誕生を見て、「私もまた、同じように母親が大変な思いをして生んでいただいた。そして私の親もまた同じように生まれさせていただいたのだ」と、いのちのロマンを感じました。
まさにこれは「いのちのリレー」と呼べるのではないでしょうか? そして命の尊さ、大切さを次の世代へとバトンタッチする。これがお念仏の相続であります。
現在2ヵ月目に入り、お陰さまで元気に育っております。親となってまだ2ヵ月ですが、ともに育てられる日暮らしを遅らせていただきたいと思います。