十勝組 2004年の法話
(2004年1月~12月)
.挨拶の意味
広尾町 光音寺 頼田 享 (2004年1月後半)
今回のテレホン法話は、挨拶[あいさつ]について、私ともども考えてみたいと思います。
私たちは日々朝から晩まで、会う人々に挨拶をします。でも挨拶は何のためにするのか、どうしてしなければならないのか、知る人は少ないように思うのです。
辞典で見ますと、「人と会った時の儀礼的な言葉や動作」と書いてあります。でも私は挨拶を、別のことだと思うのです。それは、顔を見たり、人々を見たり、その人々に対して、命を認めることだと思うのです。
先日、家の娘が、「お父さん、挨拶って何のためにするの?」と聞いてきました。私は「学校の先生は何と言ったか?」と聞きますと、辞典の通りの答えでした。
でもお念仏の命を見ていく考えからすると、命の確認だと思うのです。
子どもが朝、学校へ行くときに「行ってきます」。親が「行ってらっしゃい」。これは《子どもが無事に学校へ行ったな》と親が安心することです。学校から帰ってくると、「ただいま」。親は「お帰り」と挨拶をして、親も子もともに無事を確認するのです。
近年、子どもに対する事件が多発していますが、まず家族や仕事場で、挨拶を、命を見ていく時だと思うのです。
耳をすまして‥‥
足寄町 照経寺 鷲岡康照 (2004年2月前半)
人間の顔には、「食べる」・「話す」という二つの役目がある口が一つ、そしてただ「聞く」という一つの役目をはたす耳は二つ付いています。反対の方が合理的のようにも思いますが、西洋の哲学者の説によると、「話す倍ほど、聞きなさい」と、神さまがそのように人間を作られたそうです。ですが、ついつい「聞く倍ほど、話す」、つまり、自分の主張を通すことばかりを願うのが私です。
大海原をゆく船にとって、大切なものの一つに、無線による通信があります。ところが、その大切な無線を一時間に二回ほど、三分間ずつ、すべての船が一斉に中断するということが、電波法で定められていたそうです。その理由は、小さな船が遭難して発信しているかもしれない「SOS」、つまり「助けてください!」という電波を聞き漏らさないためだそうです。
今、出力の小さい電波で、必死に助けを求めている船があるかもしれない‥‥。
だから、世界中の大きな船も小さな船も、みんながピタッと通信を止めて耳を傾けている‥‥。
なんだか、想像しただけで胸が熱く、嬉しくなりました。
ところが、ふと現実に目を向ければ、朝から晩まで自分の思いを発信するばかりの、我[が]を通そうとするばかりの自分がありました。
それならば、船のように三十分ごとでなくとも、せめて一日に一度、発信器のスイッチを切ってみたいものです。そうすれば、聞き漏らしていた大切な声が聞こえてくるかもしれません。
仏さまの前に座り、静かに手を合わせる時を持たせていただくのは、「心の無線機」を停止するための貴重なひとときなのかもしれません。
現代と宗教
音更町 報徳寺 佐藤 誠 (2004年2月後半)
現代を生きる私たちを取り巻く環境は大なり小なり「不安」という問題と向き合わせではないでしょうか?
少子高齢化、倒産・リストラ・長引く不況、戦争・テロの問題、日本国経済の危機的状況、給与・ボーナス・年金のカット等々、問題は山積しています。
日本人の一年間の自殺者の数が三万人を超え、中高年の「うつ病」、年間、心療内科に通う人が多いと聞きます。
作家の五木寛之さんは、「不安」の中に生きていることは、取りもなおさず、「生きているという証[あか]しなのです。」と説かれ、その不安から何とかしなくては‥‥とエネルギーに変わって行く生き方‥‥そして至り届いた境地が「不安」から逃げるのではなく、不安と共に生きようという生き方でありました。
NHKスペシャルで、以前このような番組が放映されました。沖縄県の小さな島で、子だくさんの家庭に赤ちゃんが生まれ、そのことを地域を挙げて慶[よろこ]び、その家庭にとりたての野菜を届ける、心の温もり地域共同体。
また、「世界遺産の白川郷」の、八十数年ぶりの、合掌造りの屋根の修復・葺き替えを思い立ったおうちに対する「結[ゆ]いの精神」。
先祖、多くの人たちへの感謝の精神‥‥。
日本人が失いかけている、これらの精神が、21世紀に生きる私たちの道しるべではないでしょうか。
私どもの宗門の御門主さまは、「時代はいかように変わろうとも、お念仏の「み教え」は有り難く変わりません。お念仏は、私たちがともに人間の苦悩を担い、困難な時代の諸問題に立ち向かおうとする時、いよいよその真実をあらわします。」‥‥という旨、ご教示くださったことであります。
.『日の光』に寄せて
芽室町 願惠寺 藤原 昇 (2004年3月前半)
お釈迦さまは私たちの生きざまのことを四つの漢字でお示しくださいました。「生」
[しょう]・「老」
[ろう]・「病」
[びょう]・「死」
[し]の四つで、生まれること、年老いていくこと、病にかかること、そして生まれたものは必ず死んでいくということです。その四つ漢字を縮めて、「生死」
[しょうじ]とお伝えいただきました。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、この何一つ思い通りにならない私の生きざまを明らかにするために、阿弥陀さまから賜
[たまわ]お念仏を、私自身が問い訪ね、伝えていってくださいとお示しくださいました。
私たちは限りある人生を送っています。誰もが生まれたら、いつ死ぬかわからない人生を生きていることは誰でもが知っていますが、それは誰から教わったことでしょうか。
ある児童心理学の先生の話ですが、生まれて間もない赤ちゃんの笑顔が見たいためによく「いない・いない・バー」をしますが、赤ちゃんにとってはいつも目の前にいる人、お父さんか、お母さんか分からないけれど、心休まる人が目の前にいたのが《いない・いない》と目の前から消えてしまうことはとても怖いことで、《いない・いない》が長ければ長いほど恐怖が心に焼きつくそうです。そしてその後に《バァ》とやると満面の笑顔を見せますが、これは会えた喜び・生きる喜びとして学習する、と教えてくださいました。
「限られた命」を生きている私たちですが、若さと健康に自分自身の命が見えずに、日々を送っていて、自分の命の有りさまに気づけない私に、生死
[しょうじ]の直中
[ただなか]に生きていることに気づいてくれよ、という叫びが、「いない・いない・バー」という遊びの中に込められているのではないでしょうか。
童謡作家 金子みすゞさんの『わたしと小鳥とすずと』の中に、『日の光』という童謡があります。
日の光
おてんと様のお使いが
そろって空をたちました。
みちで出会ったみなみ風、
(何しに、どこへ。)とききました。
ひとりは答えていいました。
(この「明るさ」を地にまくの、みんながお仕事できるよう。)
ひとりはさもさもうれしそう。
(わたしはお花をさかせるの、世界をたのしくするために。)
ひとりはやさしく、おとなしく、
(わたしはきよいたましいの、のぼるそり橋かけるのよ。)
のこったひとりはさみしそう。
(わたしは「かげ」をつくるため、やっぱり一しょにまいります。)
3月は、たくさんの思い出とともに、保育所・幼稚園・小学校・中学校を卒業していく、子どもたちの新たな旅立ちの季節です。
保育所や学校を卒業していく子どもたちは、それぞれどこに行くのでしょうか。世界中に花を咲かせ、「明るさ」をちりばめてくれる優しいたましいの架け橋になってくれることを願います。
.「生きる」ということ
帯広市 光心寺 桃井直行 (2004年5月前半)
お電話ありがとうございます。大正町の光心寺、桃井と申します。
私も帯広に帰ってきてもう8年になります。今、地域で子どもたちにサッカーを教えています。
この前、サッカー部の父兄と話していたら、「迷信」の話になりました。
何かをしようとすると、今日は日がいいとか、13日の金曜日だからどうだとか。日本人は迷信まで輸入するのですね。方角がどうだとか、星座がどうとか。年配の人は干支[えと]を言う。お前は申年[さるどし]だから俺とはうまくいかない、俺は戌年[いぬどし]だから。‥‥本当かいな、と思ってしまう。手相・人相・ハンコ・家・墓などの相[そう]といろいろ言います。
昔、一時流行[はや]った霊感商法。あなたのような印鑑を持っていたら不幸になります。ハンコを持つならこんなはんこにしなさいと、高価なハンコを買った人もいます。ハンコ一つで幸せになったり、不幸になったり、出世したり、出世しなかったりするのでしょうか。
「人生は喪失体験の連続である」と言った人がいますが、私たちは、一日一日お金で間に合わないものを一つ一つ喪失しています。若さもそうですね。私も昔はこの若さがいつまでも続くくらいに思っていたのですが、そう思っているうちに、だんだん身も心も衰え、思うようにならなくなってきました。毎日毎日、大切な物を失いながら、いつまでも目を覚まさず、それで人生を終わってしまったら、それほどつまらないことはありません。
考えてみると、「今ここにある私」というものをしっかりと見つめながら、生きていかねばならないのに、それをいい加減にしてる。その上、右を向いたり左を向いたり、よそ見ばかりしているならば、本当に「生きる」ということにならないで、空しく過ぐる人生ということになってしまうでしょう。
「生きる」ということは、良くても悪くても、その時そのときを、力いっぱい生き抜くことなのです。そのことを明らかにしてくださったのが、お釈迦さまであり、親鸞聖人なのです。
.生かされて生きているいのちの尊さ
清水町 妙覚寺 脇谷暁暢 (2004年5月後半)
現代の世相を眺めてみますと、科学技術の進歩と経済の発展により、私たちの想像を絶する生活に変わって参りました。
このことは、私たちに大きな希望と夢を与えてくれました。そして、人類の進歩と発展に大きく貢献し、物質的な幸せをもたらしてくれたことは、誰人[どなた]にも異論はないと思います。
然[しか]しながら、反面、精神的な面を眺めてみました時に、自己自身を見失ない、自己中心的な限りない欲望を追求し、他の人をかえりみない浅ましい、恐ろしい姿に変わってしまいました。
人間は、人と人との間で生きられる存在といわれていますが、人と人との間にありながら、孤独でお互いに無関心で、人間不信が大きく拡がっております。
刹那主義・一時しのぎの快楽で自己の人生を空しく過ごしている現代人。華やかそうに豊かそうに見えて、そくせうつろで、暗くてやりきれない淋しさを感じている。真実の生き甲斐が持てない、楽しみはあっても喜びがない、暇があってもゆとりがない、これが正[まさ]しく現代の世相ではないでしょうか。
金さえあれば、物さえ握れば、という考え方が世の中に蔓延[まんえん]し、ありあまるものの中にありながら不平不満愚痴だらけの人生。「物で栄えて心で亡ぶ時代」が正[まさ]に現代でありましょう。「病める時代」と表現された識者もおられますが、自己を見失ない、ひいては、他の人の人格や、いのち一般の尊厳性をも正しく見ることが出来なくなってきています。
私たちは今こそ、「生かされて生きているいのちの尊さ」に目覚めさせていただかなければなりません。
ご門主さまは、全門宗にお示し下さいました『教書』の中で「真の人間性を回復する道を見出す」と仰言[おっしゃ]っておられますが、これこそ、お念仏の「み教え」[みおしえ]なのです。
お互いに人生の生きざまを正しい「み教え」の中から真剣に見つめさせていただきたいと思っています。現代を救う真実の宗教の原点もここに見出されるのではないでしょうか。
ともに手をとり合って、聖人のお遺し下さいましたお念仏の「み教え」を聞信させていただき、ただ一度の尊い人生を完全燃焼させていきたいものです。
.生死輪転の家
幕別町 顕勝寺 芳滝智仁 (2004年6月後半)
親鸞聖人の正信偈の終わりの方に「生死輪転の家」(しょうじ りんでん の いえ)というお言葉があります。
「生死」[しょうじ]とは迷いということで、迷いの中を「輪」のように「転」がっている「家」に住んでいる、ということで、現実の私たちのすがたを示しています。
迷いということで、仏教では「六道」[ろくどう]ということが示されてあります。つまり、地獄[じごく]・餓鬼[がき]・畜生[ちくしょう]・修羅[しゅら]・人間[にんげん]・天上[てんじょう]のことです。
そしてこれらは死後にある世界のことではなく、「六道」とありますように、六つの道であり、道というのは私が歩くところであります。
地獄道・餓鬼道・畜生道を特に「三悪道」[さんまくどう]と示され、阿弥陀さまの救いの目当てである私のすたがのことといただきます。親鸞聖人は、ある時には地獄の道を歩き、ある時には餓鬼の道を歩き、またある時には畜生の道を歩き、その境界を一歩も出ることができない、私の現実のすがたを「還来生死輪転家」[げんらいしょうじりんでんげ]と示されているのです。
腹を立て、怒りの中でものを言い、行動している時は、地獄の道を歩いているのです。鬼のように顔を赤くしたり青くしたりして人を裁き、苦しめてはいないでしょうか。そして、そういう自分が自分で見えないのが凡夫[ぼんぶ]であることの「証」[あかし]なのです。
「同時多発テロ」から始まった報復戦争、それに続くイラク戦争。怒りは、怒りによっては決して解決されないのであって、寄ればますます怒り・憎しみを深くし、多くの人々を苦しみのどん底に追い込んでいくことにしかならないのです。地獄の道を歩いている私たちのすがたです。
餓鬼道というのは、欲しい欲しいと貪[むさぼ]り続ける私たちの現実のすがたです。危機一髪のところで助かった人が「命さえあれば良い」と言っていたのが、時間が経つにつれ、「お金さえあれば」「家さえあれば」となれば、それは限りなく欲がふくらんでいくことになります。新聞に出ていた川柳に、【泣きながら 良い方を取る 形見分け】とあったのを見た時、なるほど餓鬼の道を歩きつづけている私たちのありようを教えられたように思い、また、悲しくもありました。
畜生の道を歩くすがたというのは、「おかげさま」が見えないすがたです。蓮如上人は、世の中のすべてを如来さまからの賜[たまわ]り物と示され、世の中に我が物というものは何もないのであって、自分の命も如来さまから頂いたものだと示されてあります。お店で魚や野菜を買えば、それを私たちは我が物にしていないでしょうか。魚や野菜には、私たちは一円も払ってはいません。また、子どもを「我が子」として我が物にしてはいないでしょうか。親は子どもによって親にならせて頂いているのです。人間関係の中で「おかげさま」を忘れてしまえば、人をすべて「もの」にし、「いのち」の通わない世界を作っていきます。まさに差別・いじめ等は、畜生の道を歩いている私たちが作っている現実ではないでしょうか。
阿弥陀さまの救いの目当てである三悪道[さんまくどう]のものは、今の私自身のことであると思い知らされることです。
そして同時に、阿弥陀さまのお心の深さ・広さに頭が下がり、お念仏を申し、そのお徳をほめたたえずにはおれないことです。
みあとを慕って
帯広市 仏照寺 藤本 実 (2004年7月前半)
もう、2年前になります。京都・本願寺で3泊4日の研修会に参加させていただきました。日曜学校を開かれている若いお寺さんの研修で実に楽しく、充実した研修でありましたが、最終日に過酷な試練が待ちかまえていました。
それは、滋賀県にある比叡山の山道を6人のグループで、いくつかの問題を解きながら一日かけて歩くものでした。折しも梅雨
[つゆ]の時期で、朝から晩まで雨の降り続く山道を、なんとかゴールにたどり着きました。途中、もう少しで頂上というところで2人が座り込んでしまい、動けなくなってしまいましたが、休憩しながらゆっくり行こうと話し合いながらも、なぜか頂上を過ぎていないのに下り坂になりました。座り込んでしまった2人も元気を取り戻し、何とか進んでゆきましたが、目の前に立ちはだかったのは、霧にかすんで先が遥かに続く高い石の階段でした。
言葉を失い、座り込んでしまった6人全員をもう一度立ち上がらせ、歩き出させたのは、
「800年前に親鸞聖人もこの山道を歩かれたんじゃないか」
という一言でした。
親鸞聖人も、この比叡山で20年間修行をされ、法然上人のもとでお念仏を聞き開かれました。800年も先にご苦労された道筋を現代の私たちが同じ道を歩ませていただいていることに、頭が下がる思いでありました。
がんばることがすばらしいとほめたたえられる今ですが、「頭が下がる思い」を私たちは忘れてがんばって、へこたれていたのでした。
親鸞聖人は、ご和讃に
不退のくらゐすみやかに
えんとおもはんひとはみな
恭敬[くぎょう]の心[しん]に執持[しゅうじ]して
弥陀[みだ]の名号[みょうごう]称[しょう]すべし
とお示しくださいました。
恭敬とは頭の下がる思いであり、反対に、頭の上がらない世界でもあります。その心に気づかせていただいた6人は、申すまでもなく、息を切らせながらも、声を合わせ、歌を歌いながら山を降りてきたことを申し添えます。
.お念仏の温かさ・やさしさ
豊頃町 大正寺 高田芳行 (2004年7月後半)
現代社会は物事が複雑に入り混じって混乱した社会であるといわれます。その混乱の原因は、人々の生活の中に宗教がないからであると、ある仏教者が提言しています。
社会の混乱は、そのまま人間関係の混乱と荒廃ということでもあります。
人間関係が荒廃してくると、人間同士お互いのつながりが希薄になってきます。自分と他人とのつながりが見えにくくなってくるのです。お互いのつながりが見えないことにより、それぞれの人間が自己中心の考えに支配されて自己中心の生活に埋没してしまいます。そこに個々のエゴごエゴとがぶつかり合い、その社会は必然的に荒廃してくるというのです。
今、社会には、この自己中心的な生き方が広がっていて、これこそが社会の混乱の根源ではないかと考えられます。
「宗教不在が社会の混乱を招く」と提言した仏教者は、また「宗教は人と人とを結びつける温かさと優しさであり、接着剤のようなもの」といわれています。
以前に知人の結婚式に出席した時に、ある方のお祝いの言葉が心に残りました。それは、
愛するということは、互いに見つめ合うことも大切だけれども、より大切なことは、ひとつのものを共に見つめていくこと
という言葉でした。ここにいわれる、「ひとつのものを共に見つめていく」ということは、ややもすれば自己中心の考えから抜けきれない私たちであるからこそ、お互いがひとつの「み教え」
[みおしえ]を人生の拠り処とすることが家庭生活、広くは、社会生活において何よりも大切であると教えてくれているといただきました。
親鸞聖人がおすすめくださったお念仏の「み教え」
[みおしえ]は、自分の欲望を満足させるとか、自分の思いのままに人生が送れることを説いたものではありません。この私を救うという阿弥陀さまの願いを信じ、南無阿弥陀仏
[なもあみだぶつ]のお念仏を称
[とな]える中に、自分の本当の姿が知らされ、歩むべき方向を示して下さるのが、お念仏の「み教え」
[みおしえ]です。
そこには私と他人とのつながりを知らせ、結びつける温かさがあり、優しさがあります。お念仏を孟子ながら私と自然、私と他人とのつながりに目を開いて、心を向けて、歩んでいきましょう。
.世界の中心は、どこなのか。
清水町 妙覚寺 脇谷暁融 (2004年8月前半)
今回も、浄土真宗本願寺派、十勝組[とかち - そ]のテレホン法話にお電話いただきありがとうございます。
皆様は、いかがお過ごしでしょうか。いよいよお盆も近づき、夏の到来となりました。数年ぶりの猛暑で、連日に渡って寝苦しい夜が続きます。そのせいか、夏風邪もずいぶんと流行っており健康などの気遣いが多いかと思います。
暑さの中で、一軒一軒のお宅に参らせていただく、お盆参りも勤まっています。先立たれた多くの方々のいのちを大きなご縁といただき、古くからお付き合いのあるお宅ばかりでなく、近年になってご縁をいただいたお宅や、今年初めてお盆を迎えていただくお宅など、それぞれのきっかけが、それぞれのお宅にあってくださることと思います。私たちの人生において、さまざまな機会がめぐって、多くの尊いいのちを縁としていただくものです。
しかしながら、私たちはどこまでも自分だけを中心にして、ものを考えることをやめようとはしません。多くのいのちがあってこそ、私の命が、今日ここで生きている事実があるにもかかわらず、自己を中心として、自分のまわりに存在するものを、そしり、おとしめ、差別して生きているのではないでしょうか。
『世界の中心で愛を叫ぶ』という本が若者を中心にベストセラーとなり、映画化までなされました。その内容は純粋に他者との関係をいかに考えていくかというもので、端的な恋愛小説です。この中身について論じるものは何もありませんが、この題名でいう「世界の中心」とは、地球の一体どこにあるのでしょうか。
「世界の中心」はあくまで自分の存在のあるばしょから始まり、自分の存在を抜きにしては考えられない状況を示しています。自分のありようを正当化し、開き直るのも生き方かもしれませんが、それは私たちが拠り処としてきた、念仏の「み教え」とは大分違っているように思います。「世界の中心」としてしか考えが及ばない、考えることのできない自分のありようから、実は多くのいのちに支えられ、護られながら存在しているにもかかわらず、その姿に気づけない私がいるこの場所を、「世界の中心」と味わってみてはいかがでしょうか。
だからこそ、私のいのちが、ともに世界に生きる者たちのいのちと連綿とつながっていることを阿弥陀さまの眼から知らされて来ます。私一人のためにと願われていたのは、私が何事にも気づけないまま漆黒[しっこく]の人生を歩んでいるからであり、暗黒の中にいることさえ気づけない生き方をしていたのが、私自身の本当の姿であったのではないでしょうか。浄土真宗のお念仏は、その姿が私自身の自己中心的な生き方であったと示しています。
今回は、清水町 妙覚寺、脇谷暁融がお話しさせていただきました。
浮力と他力
浦幌町 太子寺 皆川隆信 (2004年9月前半)
今年は、例年になく大変な猛暑でありました。皆様、体調の方はいかがでしょうか。
ところで、皆様は、夏というと何を連想するでしょうか。暑い、すいか、花火、お盆など、人それぞれでありましょう。私は、夏というと海、そして海水浴を連想します。暑い日にただボケーッと海を見ているだけで大変涼しくなれます。また、暑い日に冷たい水の中を泳ぐことは、とても気持ちが良いことであります。しかしながら、私は水の中が大の苦手であります。つまり、カナヅチ、泳げないのです。小さい頃に小川でおぼれたことが原因なのでしょうか。水に顔をつけることにさえ恐怖心を抱きます。
10年前に友だちと海水浴へ行ったことがあります。泳げない私は、当然浮き輪をつけて、波打ち際で小さい子どもにまじって遊んでいました。友だちは、いい年をして浮き輪をつけて遊んでいたら恥ずかしいので、泳ぎ方を教えてやると言ってくれました。私も少しぐらいは泳げるようになった方が良いと思い、友だちに手を支えてもらい、練習したのですが、足を少しバタバタとしたら、ブクブクと水の中へ沈んでしまう有様であります。友だちが言うには、泳げるようになるには恐れずに水に浮くことが大切なことだそうです。水に浮くには、自分のすべての力を抜いて、水がもつ、物を浮かす力である「浮力」
[ふりょく]にすべてを任せればいいそうです。つまり、水に浮くということは、浮力のはがらき以外の何物でもないのであります。しかし、私の場合、水に対する恐怖心のせいか、どうしても身体に力が入り、水に浮くことが大変難しいことなのです。
阿弥陀さまのはたらきは、この浮力のはたらきとよく似ていると思います。私は、自分の力ではお浄土に往生することはできません。私がお浄土に往生するには、自分の力やはからいを抜いて、すべてを阿弥陀さまにお任せすることです。すべての人を必ずお浄土に往生させたいという阿弥陀さまのご本願にすべてをお任せすることであります。
この私がお浄土に往生して、仏にならせていただくことは、阿弥陀さまのはたらき以外の何物でもないのであります。この阿弥陀さまのはたらきを「他力」
[たりき]、「他力本願」と言うのであります。
この阿弥陀さまの「他力」のはたらきに、この私はもうすでにつつみこまれていたことを、お念仏を称
[とな]えつつ、よろこびある人生を阿弥陀さまとともに歩ませていただきたいと思うことであります。
合掌
.葬儀というご縁
浦幌町 信行寺 岡西信行 (2004年9月後半)
人は誰しも会者定離[えしゃじょうり]・愛別離苦[あいべつりく]という経験をしながら生きています。
その中でとりわけ人が涙するのが葬儀の場面であります。
この葬儀はなんのために勤めるのでしょうか。
ほんの少しですが、浄土真宗の葬儀について基本的なことをお伝えいたします。
葬儀で多くの人がすぐに思い浮かべるのが、「引導を渡す」ということを考えておられます。この「引導」[いんどう]は、浄土真宗以外の仏教で、葬儀の際に導師が個人に行う儀式であります。この「引導」の本来の意味は「人々を正しい仏法に導く」というものでありましたが、現在では、葬儀の時に行われる作法となっています。
浄土真宗の葬儀では、この「引導を渡す」ということがありませんから、「引導を渡してもらえない者が成仏できるのですか」と聞かれることがあります。
浄土真宗で引導を渡すことをしないのは、親鸞聖人の教えと深くかかわりがあります。浄土真宗の教えの根本は阿弥陀如来のご本願[ほんがん]にあります。阿弥陀如来のご本願は誰のためにたてられ、救いの名号[みょうごう]は誰のために完成されたかということを、はっきり聞きわけた人を、信心をいただいた人といいます。南無阿弥陀仏のお心をしっかり受けとめた人は、お浄土に往生させていただくことが約束されております。この私の成仏をお約束してくださいましたのが阿弥陀如来さまであります。そうでありますから他宗のようにお葬式の時に引導を渡されなくても成仏させていただける私であります。
お葬式はその人の人生のしめくくりであり、命にかえて、会葬の人々にご縁を作ってくださっているとうけとめさせていただき、葬儀のご縁からお念仏を味わうようにして生活をさせていただきたいものであります。
.ただ念仏のみぞまこと
芽室町 大船寺 三浦敬篤 (2004年10月後半)
本日は、浄土真宗、親鸞さまの「み教え」とは、どのような教えであるかということを、お話しさせていただきます。
もともと、浄土真宗は念仏を称名
[しょうみょう]する、南無阿弥陀仏
[なもあみだぶつ]と仏さまのお名前を呼ぶということに尽きるのではありますが、しかし今、お念仏の声がはたして聞こえてくるでしょうか? 残念ながら、お念仏の声がいまの時代、なかなか聞こえてこなくなったように思います。
なぜ私たちは、お念仏を申さなければならないのでしょうか?
よく親にたとえられていわれます。つまり親の名前を呼んだことのない人間に親の愛情はけっして知りえません。かつて思いおこせば、この私はどれだけ親の名前を呼びさけんだことでしょうか。うれしい時、かなしい時、いつもいつもお父さん、お母さん、と、親の名前を呼びさけんだ。そして、親を呼ぶ私の声がしらずしらずの間に私の心を育ててくれ、いつの間にか親の恩のありがたし、と思う身にさせていただいた。
それと同じです。仏さまの名前を呼んだことのない人間に、仏さまの心は決して知りえません。
そして、ただ単に仏さまのお名前を呼べば良いわけではありません。
親鸞さまは『歎異抄』
[たんにしょう]のなかで
よろづのこと、みなもつてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにげおはします。
とお示しになってくださいました。つまりこの私が汗水流して必死になって集めてきた宝だと思ってきたすべてのものは、全部本物ではなくすべて偽物であったということです。そして、そう思いとることと一つとなって、「ただ念仏のみぞまことにておはします」なのです。
思えば、どんなに頼りとなる父親や母親、息子さんや娘さんがいようとも、いつかはさよならしなくてはいけないのです。自分が死ぬときには、なにひとつ持っていくことはできません。
では、何も持っていくことはできないのか?
私は、お念仏だけ、持っていけると思うのです。そして本当に残すことのできる宝も、お念仏ただひとつだけなのです。
私は、そのことを親鸞さまは身をもって私に伝えてくれたのだと味あわせていただいております。
.一年、一刹那。
上士幌町 光明寺 西原信子 (2004年11月後半)
早くも11月に入りました。アテネ・オリンピックや甲子園の高校野球で手に汗を握った夏がつい昨日のように思われます。オリンピックでは日本のメダル獲得数が史上最多ということで、日本選手の活躍が印象に残りました。オリンピックの期間中ずっと寝不足という方もおられたことでしょうね。それもそのはず、陸上の短距離や、競泳では0秒01という単位で速さが競われますものね。つまり1秒の100分の1の争いです。
ところで、仏教で言う最も短い時間の単位は「刹那」[せつな]といいます。
ものの本によりますと、この「刹那」は75分の1秒に相当するんだそうです。陸上や競泳での100分の1秒の争いというのはこの「刹那」よりももっと細[こまか]いわけです。でも100分の1秒くらいで驚いていちゃいけないんですね。カメラのシャッタースピードなんて2000分の1秒、3000分の1秒というのがあるそうですから。科学の進歩って凄[すご]いですね。
ところでまた仏教の話に戻りますが、この75分の1秒という「刹那」を単位として、この世の物事はすべて生滅[しょうめつ]を繰り返すというのが仏教の教えです。
よく私たちは「アッという間」とか「一瞬のうちに」などと言いますが、そんなもんじゃないよということです。
こういうふうに頂きますとね。お歳を召した方の口から「歳をとると一年とも言われないですね」という言葉を聞くことがありますが、そして私自身もその言葉が他人事でなく心に響くようになってきましたが、一年とも言われないなんてずいぶん悠長な言葉なんだなとつくづく知らされます。一年や一月[ひとつき]ところじゃない、一日どころでもない、一秒とも言われない世界がこの娑婆世界なのですね。ところが私たち凡夫はこのことをなかなか気づこうとしないのです。
でも、こう考えますとね。
激しい無常の風にも誘われることなく、一年どころか一日だけでも命が延びたということは、本当に凄いことなのですね。普段は何とも思わずに過ごしていますが、一日無事に過ごさせて頂いた、朝また目が醒めたというこの単純な繰り返しが、実は本当に尊ぶべきことなのかと味合わせて頂きます。
年末に憶[おも]う
浦幌町 浄福寺 北元裕誠子 (2004年12月後半)
今年もいよいよ残りわずかになりました。カレンダーが一枚一枚取り除かれるたびごとに、月日の流れの速さを身に沁みて感じられます。
11月中旬頃より「喪中につき…」というハガキが毎日何通か送られてきます。そうした中でいつも驚きを感じますことは、今年も恵まれて賜[たま]わったいのちをいたゞいたということです。いつ死んでも不思議でないいのちを今日ももいたゞき、今年も終わろうとしていますが、生かされている我が身の不思議さをあらためて感じさせて頂いております。
私どもは、お互いに死の問題をタブー視し、考えたくないと目を覆[おお]っていますが、お念仏の「み教え」の上から味わってみますと、死こそ総[す]べての人が避けて通ることのできない必然の問題であり、正こそ偶然の問題なのです。しかも、老少[ろうしょう]は不定[ふじょう]であり、無常は迅速なのです。死はいつの場合でも私どもの「はからい」に妥協してはくれません。待ったなしなのです。ここに生きることの厳しさと尊さがあるのではないでしょうか。
仏法にご縁がなければ、生きているのが当り前と受けとめ、死は偶然・思いがけないこととしか受けとめることができません。
しかし、仏法的感覚からいたしますと、死こそ必然であり、反面、生は偶然なのです。
このとに目覚めさせられてみれば、お互いに今日一日、現在ただいま、生かされていることの大きな感動とよろこびを、み教えの上から感じさせていただかなければなりません。
我が身自身の死を見つめ、無常を観ずるということは、絶えず「生かされていることの尊さと意義を見つめよ」という仏さまからの働きかけなのです。そしてただ一度の人生、代わることも代わられることもできない、大事なお一人おひとりの人生の本当のいのちの「ありか」をみつめさせて頂き、お念仏もろともにこの苦難の人生を力強く歩ませて頂く、このことこそ、親鸞さまが私どもに語りかけて下さっているのではないでしょうか。
まあ、このことを蓮如さまは「生死[しょうじ]の一大事」とお示し下され、「仏法には明日ということはあるまじき由[よし]の仰[おお]せに候[そうろう]」とおっしゃったお言葉を、年末をひかえお互いがきびしく受けとめたいと思います。
どうぞお念仏とともに、よいお年をお迎え下さいませ。