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(法話タイトル) | (地域) | (所属寺) | (氏名) | (年・月) |
「過去・未来・現在」 | 陸別町 | 本證寺 | 平林暁仁 | 2008.1 |
「.南無阿弥陀仏ってどういう意味?」 | 中札内村 | 法念寺 | 加藤敦司 | 2008.2 |
「.「十方の衆生よ……」とのお呼びかけ」 | 幕別町忠類 | 東光寺 | 豊田信英 | 2008.2 |
「.死に方よりも、生き方。」 | 上士幌町 | 光明寺 | 西原信子 | 2008.4 |
「念仏者の視座」 | 大樹町 | 誓願寺 | 頓宮彰玄 | 2008.4 |
「.毎日の生活に、「花」を。」 | 芽室町 | 寶照寺 | 泉恒樹 | 2008.5 |
「今を生かされて生きる」 | 音更町 | 報徳寺 | 佐藤誠 | 2008.6 |
「.『浦島太郎』」 | 帯広市 | 仏照寺 | 藤本実円 | 2008.7 |
「.妙好人・才市さん」 | 芽室町 | 大船寺 | 三浦敬信 | 2008.8 |
「お詣りは誰のために」 | 幕別町 | 義教寺 | 梅原真依子 | 2008.8 |
「認められることは認めていけること」 | 清水町 | 妙覚寺 | 脇谷暁融 | 2008.9 |
「.トンボのメガネは水色メガネ」 | 清水町 | 寿光寺 | 増山孝伸 | 2008.10 |
ふと、気づくと、新年を無事迎えさせていただきました。お年始参りに時を追われながらも暖かく迎え入れてくださるお檀家さん…。
それぞれの家庭のぬくもりを肌で感じながらお年始参りさせて頂いております。
そこには喜び・悲しみ・苦しみ、それぞれが入り交じり、複雑な思いが胸を突き刺します。
ある家庭では、孫が出来たと、新たな命を祝う明るい声…。
またある家庭では、正月そうそう父が亡くなったばかり…。
肺がんの手術後一人暮らしするおじいさん…。
脳梗塞で昨年はお寺に行けずに申しわけありませでした、と、頭を下げる、おばあちゃん…。
何もかも無くなったね~、おまけに灯油は高いし~
と、先が見えぬほどの煙の中でストーブに巻きをくめる、一人暮らしのおじいさんの姿…。
その姿が目にしみたのか? 煙がしみたのか? 良い線香だね~、と笑う…。
ここは日本一寒い町と言われるように、寒暖の差が70度を超える町です。お年寄りには住み良いとは良いにくいのですが、それでも、みな口を揃えて、ここがいい、とおっしゃいます。そこには「ふるさと」という、親から譲り受けた大地があり、お念仏があり、小さい頃から育った町並みとともに、
人、人、人。
お念仏をとおして苦しみも喜びもともに分かち合った人々とのご縁というつながりがあるからこそ「ここがいい」と言えるのでしょう。互いに痛みはぬぐい去ることは出来ませんが、痛みをわかり合えることができる、そんな安心感があるのでしょう。
こんな詩を記憶しております。
繁昌も 人
衰亡も 人
作るも 人
壊すも 人
要するに万事 人 の問題だ
今年 私は何をする 人 だったか
来年 私は何をする 人 になるのか…
今 私は 何をする 人 だろう !
人は 現在だけのために生きてはならない
過去を想って温かく生き
未来を見つめて厳しく生きなければいけない。
無限の過去の集積と永遠の未来への胎動としての 今 を
懸命に生きなければならない と…
過去、どれだけのお念仏が称えられただろう?
そして 今 これからも… 南無阿弥陀仏。
阿弥陀仏は、私たちを救い取ろうと誓願を起こし、今、現に光明となって照らし、名号となって喚びつづけ、すべての人々を等しく救われていくのです。
一人一人が、この阿弥陀仏の本願に目覚めるならば、苦しみにも、喜びにも、ここにこそ正しく日々の生活の中で阿弥陀仏のおはたらきに、幾重にも幾重にもおそだてにあずかる生活を、送ることができるのです。
御和讃に、
無碍光仏の光には
無数の阿弥陀ましまして
化仏おのおのことごとく
真実信心をまもるなり(現世利益和讃)
とあります。
私たちは阿弥陀仏のお姿を直接拝見することはできませんが、そのはたらきを感じ喜ぶことはできます。それを明らかにしてくださったのが、親鸞聖人です。
十勝組・西別院テレホン法話へようこそ、お電話くださいました。
先日、お寺へご門徒さんより電話がありました。その日は月に一度の常例の日であり、私もお寺におりました。坊守が電話に出て、私に代わったのですが、ご門徒さんが少し質問があるとのことでした。内容は「妻の命日にあたり、おつとめをしていたのですが、ふと南無阿弥陀仏とはどういうことなのかと疑問に思ったのでお寺に電話しました」とのことでした。このときは電話ですし、常例の最中ということもあり、あまり時間を割いてお話しすることが出来ずに、ごくごく基本的なお話をさせていただきました。
「南無阿弥陀仏」は「六字名号」[ろくじみょうごう]と言い、ご本尊であること。また、「南無」は「帰依する」という意味であり、「阿弥陀仏」は浄土真宗のご本尊であり、つまりのところ、「阿弥陀仏に帰依します」ということです、等のお話をしました。
そのあとに、そういう疑問を持たれましたらぜひお寺に足をお運びください、とお誘いをさせていただきました。
この電話のあと、私なりに感じたことは、「南無阿弥陀仏」のいわれをしらずに称[とな]えておられるご門徒さんがこの方以外にも少なからずおられるのだろうということです。
宗教は日本の「家」制度により代々「家督」同様に受け継がれることが多いのです。ですから家の宗教は浄土真宗であっても自分の宗教になっていないこともあるのです。
つまり、浄土真宗の教えを聞いていくことにより家の宗教が自分の宗教になるのです。また、聞いたことを家族に話すことにより、家族もしっかりと自分の宗教を自覚できるのではないでしょうか?
「阿弥陀仏に帰依します、ということです」と簡単に言いましたが、阿弥陀さまの み教えを聞いていくことにより「帰依する」という自然な気持ちよりお念仏を称[とな]えられるようになればすばらしいことではないでしょうか。
真宗の門徒は「聴聞[ちょうもん]に始まり聴聞に終わる」といわれます。多くの方が、ご法座に足を運ばれるよう、また何かの形で阿弥陀さまの み教えにふれられるよう、そういうご縁を大切に、日々をお過ごしくださいますように。
新年を迎えて、はや2ヵ月が過ぎようとしています。厳しい寒さが続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、本日は「本願」を通して阿弥陀さまのお慈悲についてお話しさせていただここうと思います。
「本願」とは、浄土真宗の大事なお経のひとつ『仏説無量寿経』[ぶっせつむりょうじゅきょう]の「四十八願」[しじゅうはちがん]の中にある、その中でも特に重要とされる第十八願のことを言います。その十八願の中に「設我得仏[せつがとくぶつ] 十方衆生[じっぽうしゅじょう] ……」という言葉があります。
「設我得仏」は、一口で言うと阿弥陀さまのことです。「十方衆生」は、一人も漏らさないということですから、阿弥陀さまは、一人も漏らさずに救うと呼びかけてくださっていることなのです。
この「十方衆生」ということで、お念仏をよろこんだ妙好人[みょうこうにん]の一人である、今の香川県である讃岐[さぬき]の庄松[しょうま]さんという方のお話があるので紹介させていただきます。
庄松さんが道を歩いていた時、ちょうど道ばたに一匹の犬が昼寝をしていました。すると庄松さんは、犬に向かって両手を合わせて拝んだのです。するとそこにいたお同行[どうぎょう]が、その姿を見て「庄松さん、いったい何を愚かなことをしているんだ。犬に向かって拝むなんて」と言うと、庄松さんは「あなたこそ、何をふだんから聞いていらっしゃる。私は、犬を拝んだのではない。この犬も仏の子。つまり阿弥陀さまの十方衆生とおっしゃるお慈悲の中の衆生なのです。その阿弥陀さまの願いをかけられた深いお慈悲を私は拝んでいるのです」とおっしゃったのです。その言葉にお同行も気づかされ、一緒に拝んだそうです。
まさにこの私にも十方衆生と呼びかけてくださる阿弥陀さまの願い、つまり阿弥陀さまの「一人も漏らさない」というお慈悲の中に包まれているということなのです。
ご開山[かいさん]親鸞聖人[しんらんしょうにん]も、
十方[じっぽう]微塵[みじん]世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる(浄土和讃・弥陀経讃)
と、ご自身がお書きになった『御和讃』の中でおっしゃったように、救わずにおれない、必ず救う、とお慈悲の心で今ここで私に「十方衆生よ」と呼びかけてくださる阿弥陀さまのご恩に感謝し、お念仏を申させていただきながら日暮らしをさせていただきましょう。
本日は尊いご縁をありがとうございました。
どなたかが亡くなった時、世間の人は「いい死に方でしたね。」とか、「いい往生でしたね。」などと、死に方の批評をするようです。そして、どういう死に方をいい死に方と言うかといいますとね、苦しまずに、眠るがごとくスッと死んでいった時などにそう言うようですね。「アラ、いい死に方だったのね。私もあやかりたいわ。」なんて。
これが苦しんで苦しんで、七転八倒の末にものすごい形相で死んでいった、なんていうことになりますと、いい死に方とはまず言いませんね。
また、誰かが亡くなった時、その人の生き方について「いい生き方でしたね。」、あるいは「素晴らしいご一生でしたね。私も見習いたいわ。」といったような、生き方についての批評もほとんどなされないようです。
しかし、これは反対なんじゃないだろうか。むしろ本当に評価して、学ぶべきは、先立っていった人の生き方ではないかと思います。
だってね、たとえどんなに苦しみながら死んでいったとしても、また笑いながら話をしているうちに突然スッと死んだにしても、息を引き取るその瞬間までは、その人の人生なんです。死というのは息を引き取ったその瞬間から死なのです。ということは、死はいい死に方もそうでない死に方もないんじゃないでしょうか。あるのは死の瞬間までのいい生き方であったかどうかということではありませんか。
そして、たとえば良い生き方というのは「恐れなき人生」と私は考えたいです。
どれほどに苦しんでいるように見えても、その心のうちは本当に安心しきっているかも知れない。反対に死ぬ瞬間まで楽しそうに振る舞っていても、心中まことに穏やかでないかもしれない。
たしかに、煩悩まるかかえの凡夫でありますから苦しけりゃ愚痴も出ます。涙もこぼれます。ため息もつかさります。これはこれで仕方がない。
私が死んだらあれはどうなるだろう。これはどうしよう。悩みは最後の最後まで尽きはしません。凡夫ですもの。
しかし、苦しい中にでさえ「この人生を頂けて良かった。」「この歳まで生かさせて頂いて幸せだった」と少しでも慶[よろこ]べたら素晴らしい人生ですよね。そういう生き方にあやかりたいですね。
私どもの浄土真宗、親鸞聖人の教えを学ばせていただくということは、どういうことでしょうか。学んだ教えを我がものとして握りしめ、他を裁いていくことではありませんが、仏心[ぶっしん]を賜[たまわ]り、仏[ほとけ]の眼をもって己[おのれ]を見つめ、また、まわりの命の相[すがた]を見つめてゆく、そこに念仏者の視座が開かれてまいります。
命とは何か。絶対平等の理念を依り処に各々[おのおの]が、姿も、能力も違う、職業も家柄も、肩書きも実績も、その身に背負う事柄も、それぞれ違うけれども、その違いを違いのままに認め合い、尊重し合って、違うというところに、上下・善悪・貴賤[きせん]の観念を持ち込むことなく、命と命が拝み合ってゆく道を、宗祖[しゅうそ:親鸞聖人]はそのご生涯をかけて、御同朋[おんどうぼう]の仏[ほとけ]の道として、開いてくださいました。
そのご信心の道を歩むことは、仏の教えにそむく、仏心を悲しませる命の相[すがた]を見て見ぬふりのできない私に変えられてゆく営みでもあります。何故なら、「利他[りた]真実の信心」とは、「願作仏心」[がんさぶっしん]つまり道を求める心、そして「度衆生心」[どしゅじょうしん]、他の命を救わずにおかない心、命の心、痛みをたずね、寄りそってゆく心を内容とするからであります。そこに社会の問題、特に人権の問題・差別の問題が、私の信の営みにおいて、問われてくるのであります。
「組織でございます」、「歴史でございます」という中で、教えが歪められる時、宗祖は親子の縁を絶ち切ってまで、教えに誠実でありました。
また、
面々の御[おん]はからひなり(『歎異抄』第二条)
親鸞もこの不審ありつるに(『歎異抄』第九条)
と示されます。
宗祖は、決して人に強要せず、一人一人の選びを尊重され、上に立って己の善を誇るのではなく、同じところに立って寄りそいながら、ご自身の味わいをお宣[の]べになる。このような宗祖のお立場・姿勢は教えを貫くものであり、宗祖の名のもとに、この根本の教えを踏みにじる言動のないように、常に問い返していかなければなりません。
宗祖の信の道に著[いちじる]しくそむく相[すがた]が、「和をもって云々」という中に放置されることは更なる差別、宗祖のお心に反することを助長することになる。是正を促すことが宗祖のご恩に報いることになる。一人一人の基幹運動でもあり、信心の営みであるという認識が、いよいよ重要になってまいります。
獅子[しし]の身中[しんちゅう]の虫[むし]の獅子をくらふがごとし。
とお手紙に引用なされた宗祖のご心中[しんちゅう]、それは750年後の流れを頂く私どもへの重い道標[みちしるべ]と受けとめさせていただきたいと念じます。
昨年の夏、何気なく聞いていたラジオ。その中から聞こえてきた一つのラジオCM。何気なく聞いていたけど、心の中にとても響くラジオCMでした。それが次の内容です。
◇ あまり人を褒めない上司が転勤前に私に言った、ありがとう。
◇ ケンカしてずっと口をきいていなかった母から言われた、おはよう。
◇ 顔は知っていても話したことのない、隣の部屋の人に初めて言われた、こんにちは。
◇ 電車で足を広げて寝ていたサングラスの男性が、気づいて言った、失礼、のひと言。
◇ よく行くコンビニの店員さんに街で出会い、笑顔で言われた、こんばんは。
◇ 謝ることが大嫌いな彼が、電話越しに言った、ごめんなさい、のひと言。
◇ 初めての里帰り、頑固な父が笑顔で言った、おかえり。
あいさつはなくとも、生きていけるけど、あるとしあわせ。
毎日の生活に、花が咲くようです。
あぁ~、本当にそうだな、と心から頷きました。
いま私たちが生きている中で、人と関わることが煩わしいとさえ思うようになっているように感じます。でも、私たちは多くの人や物、生き物にさせられながら生きていることを忘れてしまっており、逆に自分で生きているような、奢[おご]った重いの中で生きてしまてはいないだろうか?
食べ物にしたってそうです。「お金を出せば買える。」……食べ物だけしか見てないで、そこに何があるのかを見つめない。その食べ物は、私たちに食べられるために生まれてきたのではありません。その命を奪っているのは紛れもなく私。そして、私の手元に届くまでにどれだけの方が携わって私の目の前に来ることができたのか……。
何も考えず食べ、平気で残してしまう。
しっかりとその物を見ていくと、感謝の思い、そして生かされている自分が見えてくるに違いありません。
そう思ってしまう根本は、やはり煩悩という自己中心性に他なりません。だから、人と関わることを煩わしいと思い、自分の都合で人と関わるのではないだろうか? そういう考えでは、人と関わらなくても生きていける、挨拶をしなくても何も問題はないと思ってしまっているんだろうと、このラジオCMを聞いて、自分の姿に気付かされました。
たしかに挨拶をしなくても生きていけるけど、果たしてそれが私たちが願う幸せな生き方となっていくのだろうか?
誰しもが願う「幸せ」とは何だろうか?
この問いに、あなたはどう答えますか? 「長生きしたい」、「健康でありたい」、「お金持ちになりたい」ですか?
でも、願っても思い通りにならないのがこの「いのち」です。いのちを、長さや、誰かと比べることで測ることはもうやめましょう。比べることの出来ない、たった一つの命をそれぞれいただいているんですから。
そうすると、おのずと見えてくるものがありませんか? 幸せとは何かということを。
ある先生が言った言葉に、「宗教は人生学である」「幸福学である」「人生の応援歌である」とあります。こんにち、宗教がいらないとさえ言われる時代になりつつあります。挨拶と同様、なくても生きていけるというところでしょうか?
でも、あると必ず豊で実りのある人生を送れるんではないでしょうか? 何も考えず流されながら生きていると、私たちの人生は何のために生きているか分からないということが意外と多いように思います。いたずらに時だけを過ごし、自分の人生は何だったのか? と……。
お念仏は、幸せに生きる今を、力強い人生を歩む教えです。どうぞ、一緒にお念仏に育まれた人生を歩ませていただきたいものですね。
今朝も、私は自坊から4キロメートル程の散歩の日課を終えました。生活習慣病対策ということで、今年は3月より始めています。「自分の健康は自分で守らねば……」ということで、大自然の息吹を感じながら、朝の新鮮な空気を胸一杯吸いながら歩いております。
4月より、食料品・諸物価・ガソリンの値上げに対応しながら、年金・高齢者医療問題に戸惑いながら、就職難・迫りくる「世界の食糧難」・ミャンマーや中国の大災害に胸を痛めながらの生活であります。我が家では、自給自足の意味からも、毎年、無農薬の家庭の有縁を続けております。
さて、世の中・時代は移り変わろうとも、真実の御教え[みおしえ]・仏法は変わることはありません。
このたび、御門主[ごもんしゅ]さまが開示なされました「浄土真宗の教章」(私の歩む道)の中に、
教義
阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
生活
親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来の み心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。
とあります。
ともどもに、同じ宗門人・真宗人として、一日一日を生かされていると味わい、この人生を歩んでまいりましょう。
あなたは、浦島太郎の物語はご存知でしょうか。浜辺でいじめられていた亀を助けたことから、竜宮城に連れられ、この世の最上級の楽しい日々を過ごした太郎でありましたが、遊びに飽きて気がついて、乙姫さまにもらった玉手箱をお土産に、一目散に家に帰るのですが、家も村も無く、知らない人ばかりでした。そして太郎は、あまりの寂しさに、開けてはいけないと言われていた玉手箱の蓋をとった途端にパッと白い煙が出て、たちまち太郎はおじいさん、となりました。という物語ですが、白い煙が出たから太郎はおじいさんになってしまったのでしたね。
そう、気がついたときには取り返しのつかないことになってしまっていたのでした。
火の無いところに煙は立たない、と言いますが、白い煙がパッと出たということは、玉手箱の中で、何かが燃えてしまったのでしょう。
私自身が頼りとしていた、財産・名誉・家族や健康。そのすべてが頼りとはならずに、煙となってしまいました。
この物語にはここまで書いてありませんが、玉手箱の底には一枚の鏡がはめ込んであったと言います。
親鸞聖人がご尊敬された、善導大師さまのお言葉に、「教経は鏡の如し」のお言葉がございます。
教経とは、お釈迦さまがお説きになられたお経のことですが、そのお経は私の命を映す鏡だとおっしゃいます。
誰とも比べる必要のない、今とココと私の命を映す鏡がお経であります。
妙好人としてよく知られている浅原才市さんのお話をしたいとおもいます。
ちなみに「妙好人」とは、言葉では言いつくせないほどうるわしい人のことで、念仏者をたたえた言葉です。
浅原才市さんは江戸時代の末期、1850年に生まれました。14、15歳の頃に船大工の弟子に入り、後に下駄を作る職人になりました。
才市さんは下駄を作る間に御法義[ごほうぎ]の思いが湧くと、木の削屑に、心に浮かんできた言葉を書いていきました。そして仕事が終わると夕方の勤行をして、夕食後にその日に木屑に書いた歌を、小学校の子どもが使う雑記帳にていねいに清書して書きつけていったのです。才市さんはそれが楽しみであったようです。そしてそれが今に残っています。
そのなかに、このようなすばらしい歌があります。
かぜをひくと せきがでる
さいちが御法義のかぜをひいた
念仏のせきが でる でる
風邪をひくとせきがでます。才市さんも風邪をひいたのでしょうか? もしかしたら寝こんでいる布団の中で、ふっと浮かんだのかも知れません。しかし才市さんはひいたのが風邪だけではなかったということに気づいたのでした。それは、お念仏を称[とな]えるような私では決してなかったのに、なんと私の口からお念仏が出てきてくださるということに。そしていま阿弥陀さまが私の口からお念仏となり、私にはたらきかけてくださっているという不思議に気づいた時に、その驚きと感動、そして喜びをこの「かぜをひくと せきがでる さいちが御法義のかぜをひいた 念仏のせきが でる でる」と才市さんは詠んだのではないでしょうか。
私は、才市さんが阿弥陀さまとともに歩んだ方であったからこそ、このようなすばらしい歌を詠むことができたのだと思うのです。
浅原才市さんは昭和7年1月17日に83歳で生涯を閉じましたが、素直でお念仏のよろこびにあふれたこの歌は、時代をこえて決して色あせることなく私のこころに感動をあたえてくれています。
今年もお盆の時期となりましたが、皆さんはお盆詣りに行かれましたか。
お盆は、普段仏教に縁遠い方も数多くお詣りされる大切なご縁となっております。その方々の中には、先祖供養のためにとお詣りされている方もいらっしゃるようです。
人間の苦しみ、「八苦」[はっく]の一つに「愛別離苦」[あいべつりく]があります。これは、愛する者と別れる苦しみを意味します。追善供養[ついぜんくよう]は単なる習俗ではなく、自分に関わった大切な人に何かしてあげたいという思いからの営みでもあるのでしょう。
それでは、浄土真宗におけるお詣りも、追善供養としておこなって良いのでしょうか。
宗祖[しゅうそ]親鸞聖人[しんらんしょうにん]は、
私は亡き父母の供養のために念仏を称[とな]えたことは一度たりともありません。その理由は、生きとし生けるものはすべて生まれ変わる間に親となり子となってつながって来た命です。そして、どの方々も皆、この命が終わってお浄土に生まれ仏となった後に救うべき目当てであるからです。」(『歎異抄』)
とおっしゃいました。親鸞聖人は、決して追善のためではないとされたのです。
では、誰のためなのでしょうか。第八代宗主・蓮如上人[れんにょしょうにん]は、
他宗では、親の供養や自分の欲望を満たすためなどに念仏を称[とな]えたりしますが、浄土真宗では、「阿弥陀さまを依り処として生きます。」と念仏をいただきます。(『蓮如上人御一代記聞書』)
とおっしゃいました。
お詣りは、「あなたを必ず救って、決して捨てたりしません。」と阿弥陀さまがこの私のために願われ続けた結果、結ばれた仏縁なのです。
以前、知り合いの女性・Aさんが、「私は、よくお仏壇の前で亡くなった主人にいろいろ相談するの。そうしたら、天井や柱から音がして、主人が答えてくれるの。」と、涙を流しながら話してくださいました。
Aさんはいつもご主人をそばに感じていらっしゃるようでした。
私は、亡くなられた方を身近に感じられる方は、仏縁を身近に感じることが出来る方だと思います。
自らの煩悩のために道から逸[そ]れてばかりの私ではありますが、阿弥陀さまをそばに感じながら、皆さんとともに、この浄土真宗の教えを心の依り処としていければと思います。
2008年の夏もにわかに終わりをつげ、早いもので、すでに秋盛りの様子となりました。日本各地では猛暑の勢いでしたが、ここ北海道・十勝では、7月下旬・8月下旬と雨の日が多く、例年よりも暑さを感じることの少ない夏でした。
その中でも、北京オリンピックでは各国の選手による、手に汗握る競技がくりひろげられました。毎日、テレビに釘付けという方も少なくないのではないでしょうか。
どの国の、どの競技の選手も、4年間の、いやそれ以上のトレーニングを積み重ね、本当の記録をねらって競いあっていました。それは他者を打ち負かし、自らが金メダリストになることが目標なのではなく、自らに積み重ねてきた集大成を発揮できることを精一杯願い、その競技にあわせ真に発揮できた結果としての金メダルではなかったでしょうか。
私は、日本の選手であろうと他の国の選手であろうと、そこに差異をつけません。
さまざまな試練や苦労を乗り越えてきた、選手その人の個人の能力、あるいはチームの能力に負うことがすべてだと思っています。逆に言えば、たとえメダリストとはなれなくても、そこで精一杯、選手の能力が花開いているならば、心を打たれ感動をともにできます。
安易に、勝ちは良くて負けたらダメ、というような、国をあげた、あるいは組織をあげた運営や商業主義に流されたオリンピック自体の姿勢は、一人一人がこれでいいのかと問わねばならないとも思います。
たとえどのメダルに手が届かなくても、そこで参加し、それぞれの4年間を背負っていることに、横になりながらテレビで眺めている私たちの価値で何を言えるでしょうか。
内戦や紛争をしのぎ、始めて参加した国や選手もあるでしょう。あるいは、わずか一人で参加した国や選手もありました。それらの事実は放映しても面白くないことが理由で、テレビに流れることはほとんどありません。日本やアメリカのように大選手団を送り込み、メダルの数だけを競い合うことに、本当の意味があるのでしょうか。
これらの選手の姿に思うことは、一人一人がそれぞれに認められているからこそ、躍動感に対して対しての賞賛や苦労に対しての共感が、見ている人に感動を呼び起こしているのです。共感できるということは、その個人を認め、その選手に成り代わったように私が走ったり、泳いだりして、自らに重なっていくことで多くの感動をうることが可能なのだと思います。
人は誰もが自分自身を認めて欲しいと考えてはいますが、社会の中では認められないことも多くあります。その人の価値を、仕事ができる、能力があるという点のみで評価しているからです。本当の意味で認められるとは、良いところも悪いところも、すべて含んだ上で、そのすべてがあって、その人の真実が知らされてきます。良いところだけ都合良く、悪いところは切り捨てていくようなことをしない、それが真実の世界、阿弥陀さまの世界ではないでしょうか。
すべてを含んで、そのすべてがあなただと呼びかけてくださるからこそ、阿弥陀如来に認められて生きていく生き方が、間違いのないより所となっていけるのです。阿弥陀さまの願いによって認められていくからこそ、私の生き方が揺るぎのない人生と変えられていくのです。認められることは、認めていけること、そういう行き先の定まった確かな人生を歩みたいものです。
お電話ありがとうございます。十勝組テレホン法話です。
最近行われた北京オリンピックでの、車いすを使って機敏に競技する姿には、胸を打たれました。彼らからは不自由を感じませんでした。健常者以上の並々ならぬ努力があったことと思います。
さて、童謡『とんぼのめがね』の歌を知っていますか。
トンボのメガネは水色メガネ
青いお空をとんだから
とんだから
これは、幼いときから親しんできた歌のひとつです。四季折々、自然とともに人生を彩[いろど]って生きる人々の心の豊かさ、環境の変化に対応し、見事に調和して生きる様子が歌いあげられています。
水色・ピカピカ・赤色……と、周囲の状況に敏感に反応するメガネです。トンボの季節を迎えるたびに、この歌の歌詞の中に「私はどんなメガネをかけて生きているんだろうか」と思うことがあります。
どんなメガネをかけていようがそれは自由です。ただ、どんなメガネをかけて生きていても、煩悩色に染まった色メガネをかけているのです。このメガネはあくまでも自分に都合のよい人・良くしてくれた人はよく見え、そうでない人はよく見えないという、利害・損得関係の心でしか、物事を見ることができないのではないでしょうか。
日々の生活の中で、浄土真宗の み教えをお聞かせあずかることは、阿弥陀さまのお救いのメガネすなわち真実の智慧とまことの慈悲のはたらきを通して、お浄土を恵まれた人生を生きぬいていくことです。
日々、誰に対しても感謝ができ、お念仏を申す日暮らしをしたいものです。