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(法話タイトル) | (地域) | (所属寺) | (氏名) | (年・月) |
人間の欲望と浄土真宗のご利益 | 新得町 屈足 | 立教寺 | 千葉照映 | 2014.5 |
すべての自力は他力にささえられてあった | 大樹町 | 光教寺 | 岩﨑教之 | 2014.5 |
地獄はあるのか? 極楽はあるのか? | 中札内村 | 真光寺 | 桃井直行 | 2014.6 |
一隅を照らす | 音更町 | 西然寺 | 白木幸久 | 2014.8 |
七つの子 | 芽室町 美生 | 願恵寺 | 藤原昇典 | 2014.8 |
幸福三條 | 足寄町 | 照経寺 | 鷲岡康照 | 2014.9 |
“いのち”の見えてくるとき | 帯広市 大正町 | 光心寺 | 桃井信之 | 2014.9 |
ネズミの子育てに学ぶ | 芽室町 | 寶照寺 | 鈴木克彦 | 2014.10 |
「いのち」を生ききる | 芽室町 北伏古 | 大船寺 | 三浦敬信 | 2014.11 |
これから | 音更町 東士幌 | 報徳寺 | 佐藤誠 | 2014.11 |
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人間の欲望には数限りないものがあります。地位・名誉・権力・金銭等、さまざまなものがあり、さらに言うなら私たちがこの命を保ちたいというのも欲望に他なりません。
欲望と言えば何か悪いことのように聞こえますが、決して一概にそうとは言えないと思います。家族が生活していくためにはどうしてもお金は必要でしょうし、そのためには地位も上がらなくては給料も上がってはいかないでしょう。また、生きるためには「食べる」ということが不可欠でありますし、健康でありたいと願うのは当たり前のことでありましょう。そして、その欲望は、生きている限り、絶えることはなく、むしろ深まって参ります。
さて、その欲望が宗教を信仰することによって叶えられるとお考えでしょうか。
欲望とは言うまでもなく迷いであります。宗教によって叶えられるとするなら宗教はまさしく迷いを深めているということになってしまいます。もちろんそれは真実の宗教とは言えません。
親鸞聖人の書物の中に「現生十種の益」ということが説かれています。これは如来さまの み教えを信じ念仏申す人生を送っている者は、ただ往生成仏を願うべきであって、現世の利益を追い求めるのではなく、永遠なる、そして真実なる成仏の道を願うところにおのずからご利益が与えられるのであります。
私の側から追い求めるのではなく、求めずして生きる力となって与えられるものこそ、真実なるご利益であり、それが浄土真宗でいわれる現世の利益であります。
新得町、立教寺住職、千葉照映がご法話させていただいております。お電話ありがとうございました。
「すべての自力は 他力に ささえられてあった」という言葉が、以前、真宗教団連合から出されている法語カレンダーに載っていました。この言葉をもとにして武田達城先生がご法話いただいたものを紹介いたします。
孫悟空を主人公にした『西遊記』という小説があります。1570年ころ、中国の明の時代の文学者である呉承恩という人によって書かれました。今まで1度は読んだ子とがあったという方も多いことでしょう。この本は玄奘三蔵の史実をもとに、のちの時代になって面白おかしく脚色されて民衆の間に広まりました。玄奘三蔵については、正確には玄奘自身が書かれた『大唐西域記』が残されています。
さて、その『西遊記』のなかで、あばれものの悟空が仙術を知っているのをいいことに、みんなを困らせます。お釈迦さまは悟空に身の程を知らせるため、悟空を試します。きんと雲に乗れば、ひと飛び十万八千里と自慢する悟空に、お釈迦さまは静かに手のひらを開いて、この手のひらから出ることができればお前の勝ち、天上はお前のものにしてやろう。出られなければ負け、もう1度下界で修行し直す、という約束をします。
自信満々の悟空は、きんと雲に乗って、風を切って ひとっ飛び、5本の白い柱のそびえ立っているところにたどり着きました。世界の果てまで来たと考えた悟空は引き返そうとしますが、ここまで来たという証拠に白い柱に落書きをして引き返します。お釈迦さまのところに戻ってきた悟空は、世界の果てまで行って来たこと、そこには白い5本の柱が立っていたことを自慢げに話しました。するとお釈迦さまは、笑いながら悟空に手の指を見せられました。なんとそこには、世界の果てまで来たという証拠に落書きをしておいた字があったのです。
あぜんとする悟空にお釈迦さまはさとします。「お前は自分を大変えらいように思っているようだが、私から見ればえらくもすぐれてもいない。私の手のひらから出られなかったではないか。いばってはならぬ」と。
先の「すべての自力は 他力に ささえられてあった」という言葉を残された鈴木諸章子さんは、がんという大きな病を得て、病と正面から向き合って生き抜かれた方です。残された本を読ませていただくと、病気になられるまでは、坊守として、園長として、大変ながんばりやさんであったようです。しかし、ご家族の愛情にささえられ、病と共に生きる中で、その心境の変化をつづられています。
「今までは自力を尽くしたところに他力ありと考えておりましたが、自力なんかなんにもなかった。すべての自力は他力にささえられてあったんだ」と言われるのです。
私たちは、自分はこれだけがんばったと、わが身をほめたり、逆に「努力は自力」と努力を否定しがちですが、他力に支えられての努力、いわば「たまわりたる努力」というものがあることを教えていただきました。と、ご法話いただきました。
江戸時代の中期に白隠慧鶴(はくいん-えかく)という名前の大変立派な禅の僧侶がおられました。この僧侶は白隠禅師(ぜんじ)と呼ばれ、江戸時代に臨済宗を再生させた大変なお方でした。
ある時、この白隠禅師のところへ1人の侍が尋ねてまいりました。この侍は、侍としては立派だったのですが、僧侶に対しては「坊主というのは、適当に口から出まかせばかりを言うて、民衆をたぶかしておる」というくらいにしか思っていなかったのです。
この侍が白隠に「地獄や極楽やと言うておるが、本当にそんなものがあるのか?」と詰問いたします。そこで白隠は「ふふふ」と鼻で笑い、「そんなことが気になるようでは、お前もたいした武士ではないのう。相当な腰抜けじゃのう!」と嘲(あざけ)笑うのです。
当の侍は白隠に小馬鹿にされたものですから、真っ赤になって怒り出します。そしてあろうことか、持っていた刀で白隠を一刀両断に切り捨てようとします。まさに刀が振り下ろされようとされるその瞬間!
「それ! そこが地獄じゃ!」
と白隠の気迫のこもった声がしました。
その声を聞いて、この侍は、ハッと気がつくのです。今の今まで、地獄というのは、どこか自分とは無縁のところにあり、その地獄が、あるのか?ないのか? と考えておったが、今まさに怒り狂っておる自分の姿、自分の心こそが、地獄そのものなのだと気がつくのです。
侍はあわてて振り上げた刀をおさめ、その場にひざまづき、「禅師、ありがとうございました……」と、詫びてお礼を述べました。
そこでまた白隠禅師が、今度はにっこり笑って、「それ、そこがお浄土じゃ」と言いました。
私たちは、とかく、地獄とか極楽とかを、自分とは別の世界のように考えがちです。けれども実は、地獄も極楽も、今の私自身が作り出している境界なのです。
実は、お釈迦さまの時代にも、死んだ後の世界が、あるのか?ないのか? ということが論じられたそうです。けれどもお釈迦さまは、そのことには一切お答えにならなかったといわれます。なぜならば、「死後の世界があるのかないのか」「地獄や極楽があるかないか」よりも、「今のこの私のあり方そのものが問題なのだ」ということを、お釈迦さまは仰られようとしたからなのです。
私たちは、毎日の生活の中でとかく「あの人がこうしてくれれば」とか、「ものがこうあってくれれば」とかいうふうに、自分の幸せを外に求めがちです。けれども実は、苦しいと感じるののは、自分自身が作り出していることの方が多く、正しく地獄行きの日暮らしにほかならないのです。そして、こんな私だからこそ、「放ってはおけぬ」との阿弥陀如来のご本願が立てられているのです。
そのような「地獄行きの私」のいのちの事実を知らしめ、同時に、だからこそ「必ず救う」という阿弥陀如来のはたらきに出遇うことこそが浄土真宗の門徒にとっていちばん大切なことなのではないでしょうか。
今年もお盆の季節を迎えました。毎年、お盆の標語ポスターを持参して、各おうちでお盆勤めをしています。今年の標語は「一隅(いちぐう)を照らす」としました。
この言葉は、日本の天台宗を開かれた伝教大師最澄(でんぎょうだいし-さいちょう)によるものです。本山である比叡山・延暦寺は、宗祖・親鸞聖人が若い頃、厳しい修行を積んだところであります。最澄は、僧侶の修行規則を作成し、「一隅を照らす」人材を養成することに心血を注ぎました。
「一隅」とは、自分が今いる場所のことです。ですから、「一隅を照らす」とは、おのおのがそれぞれ一本の灯火(ともしび)となって家庭にしても職場にしても、自分が置かれている持ち場を照らすことです。
人それぞれ、持ち場は違います。他人の持ち場がよく見えて、自分と取り替えてほしいと思う人もいるでしょう。自分の持ち場が劣って見えて、こんなのはいやだと思っている人もいるかもしれません。
でも、ここが私の持ち場なのです。どんな状況に置かれようとも、仏さまが支えてくださっている場を生きているのです。仏さまが人生修行の場として、この私に与えてくださいました。ですから、それぞれの持ち場でもって、今ある命を明るく、光り輝かせながら生きてみてください。
ロウソクの灯火は自らを燃やしながら、光っています。自ら光り輝くことで、まわりを明るくしています。自分の持ち場を精一杯に照らして生きることが、まわりを明るくし、まわりに尽くしていくことになるのです。
あなたが一隅を照らすだけでは、小さな灯火と思われるかもしれません。しかし、あなたの灯火に照らされた、まわりの人たちも、その光に導かれて、輝き出します。1千本にも1万本にも灯火が増えていき、仏さまの光のように、あまねく世を照らして、安穏(あんのん)あふれる社会が築かれますことを願っています。
仏教や浄土真宗について、さまざまな考え方を持っている方がおられます。仏教などは病気になったり歳を取って気が弱くなったりした人がすがる考えで、「私はまだお寺参りをするほど、歳を取っていません」と言われる方もおられます。しかしそんな方でも、長い人生の歩みの中で、事業に失敗するとか、何の予告もなく深刻な出来事がやってきて今までの自信が崩れると、本当に自分の人生を支えてくれる宗教を求めるようになります。
浄土真宗の教えは心豊かに生きる道を与え、つらく苦しいことがあっても、その事実をしっかりと見つめながら、力強く生きていく智慧と力を与えてくれるものこそ、お念仏の教えです。
『蓮如上人御一代記聞書』には、
仏法には世間のひまをかきてきくべし、世間のひまをあけて法をきくべきように思うこと、あさましきことなり。仏法には明日ということはあるまじきよしの仰せに候ふ
と言われています。「ひまがあったら聞こう」というような心がけの人には仏法は聞けない、時間を作って聞くようにせよと仰せられているのです。
どちらかというと嫌われもののカラス。皆さんはどのように思われますか。夕方になるとたくさんのカラスが集まって、林や電線に群れている様子には少し恐怖を覚えるくらいです。
『七つの子』作詞:野口雨情 作曲:本居長世
からす なぜなくの からすはやまに
かわいい ななつのこが あるからよ
かわい かわいと からすはなくの
かわい かわいと なくんだよ
やまの ふるすへ いってみてごらん
まるい めをした いいこだよ
カラスは夕方になると巣に帰ると言われます。カラスが鳴いて帰るから、それでは私も帰ろうかと腰を上げる人は、今では少ないのかも知れません。
この「七つの子」、何か変だと思いませんか? カラスは、5歳くらいまで生きるそうですが、カラスは1度に7羽もヒナがいるのでしょうか。
カラスは年に3~5子の卵を産み、実際に育つのはその一部だそうです。「七つ」は「かわいい子」の意味をこめての表現のようです。
七・五・三のお祝いは、昔は子どもの死亡率が高く、「3歳までなった」「5歳までなった」「7歳にようやくなった」との思いでお祝いしました。
この歌は、カラスの親子の情愛を歌ったものですが、夕方に七つくらいの子どもを連れた親子が、カラスが巣へ帰る様子を見て、子どもに話し聞かせる情景に心がほんのりします。
かわいいヒナを育てるために一生懸命のカラスの親。放り出すことなく、あきらめることなく、雨や嵐の天気にも関係なく、毎日食べ物を運びます。途中で育てることをやめたという話を聞いたことがありません。子育てをカラスに教えられているようです。
「自愛」という言葉があります。手紙の最後に「時節柄ご自愛ください」と書かれる方もおられることと思います。自分を大切に、自分の健康状態に気をつけてください。
生かされている命を大切に、お念仏いただく日々をお送りください。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。
明治34年、岐阜県の「正蓮寺」(しょうれんじ)という歴史あるお寺の12代目の住職になる立場だった私の祖父は、まだ学生だった弟にその座を託し、未開の北海道に渡りました。
その後、大正4年、足寄町に説教所を開設し、照経寺は来年・2015年、開教百年を迎えます。
当時、ご門徒方は厳しい自然に立ち向かい、貧しい生活の中で、仏さまの み教えとお慈悲を大切にし、お寺を支えてくださいました。仏法が、生きる支えとなっていたのでしょう。
今年の6月に、その正蓮寺に伺う機会がありました。その折、座敷に掲げられた真宗大谷派の僧侶、金子大榮先生の一枚の書が目にとまりました。先生が96歳の時にお書きになったもので絶筆に近いものだろうとのことでした。
その書は「幸福三條」と題され、
人身を受けし 有り難さ
仏法に遇える 忝けなさ
今日を生きる 勿體なさ
と書かれていました。
96歳になられた先生が、人間として生まれ、遇い難い仏さまの教えに出遇い、今日を生かされて生きてること、この3つを幸せだと教えてくださっているのだと思いました。
しかし、よく見ていると、先の条件よりも後の「ありがたさ」「かたじけなさ」「もったいなさ」と味わう心持ちの方が大切なのではないかと思うようになりました。
今、幸せに暮らす3つの条件はと尋ねると、「健康」「お金」「人間関係」を上げる人が多いと聞きました。その通りだと思います。しかし、それらが大切だと気付くのはそれを失ってからということも多いようです。
健康な身体を頂きながら、「当たり前」と暮らしてはいませんか? 不自由なく暮らせるお金を持ちながら、もっともっと!と言ってはいませんか? 温かい人たちに助けられながら、感謝を忘れていませんか?
「当たり前」なものなど何一つないのです。今、あるものを「有り難い」「かたじけない」「勿体ない」と味わい受け取っていくことが、心穏やかに幸せな生活を送るために大切なことだと気付かされました。
また、神戸で幼い子の命を奪われる悲しい事件が起きました。
現代は、まさに‘いのち’の見えない時代と言ってよいでしょう。さもなければ、あんなに簡単に、しかも残忍に、人の命を奪うことなどできないでしょう。
私がかつて経験した話を紹介いたします。今から25年前、初めて仏教の生まれた国・お釈迦さまの国・インドを訪問した時のことです。
頭部の大都市・カルカッタという都市の国際空港に降り立ちました。現在はコルカタといわれているところです。人口約1200万人。その多くが周辺の貧しい地域からやってきた人々です。仕事が充分にあるわけではないので、人は街にあふれかえっています。
当時、その大都市の国際空港は、日本人の感覚では信じがたいほどの粗末な建物で、薄暗く、蒸し暑いのにエアコンもなく、預けた荷物もなかなか出てこない。インドに着いたばかりなのに、初めから不安になることばかり。そんな空港でした。トイレのドアを開けると、裸電球のまわりに、日本では見たことのない大小さまざまな虫が飛び回っていて、とても用を足せる雰囲気ではありませんでした。
ようやく空港の建物から外へ出ることができて、迎えのバスに乗り込んだ時のこと。なんと、バスの中にたくさんの蚊が舞っていたのです。
蚊に刺されること自体を好きな人はいないでしょうが、亜熱帯の国で蚊に刺されると、いろんな恐ろしい病気にかかる可能性もあると言います。私たち一行の顔がまた曇りかけたとき、一人の方が、用意していた殺虫剤のスプレーを、バスの通路の前方から後方に歩きながら、「シュー」っと散布したのです。みんな「用意がいいね」「ああよかった。助かった」と言って笑顔になりました。
ところがその時、私たちの旅の全行程を案内してくれたガイドさん、この方は日本語が堪能なインド人でしたが、この方が私たちに向かってこう言ったのです。
「皆さん方は、そんなに簡単に蚊を殺せるのですね。皆さん方だって蚊に生まれたかもしれないのに」「日本人はほとんどが仏教徒だと聞いていますが、そんなに簡単に蚊の命を奪って良いのですか?」
これを聞いて、一同が「し~ん」となったことは言うまでもありません。私たちは、インドの旅の初めから、頭をハンマーで叩かれたようなカルチャーショックを受けたのでした。人間ばかりでなく、どのような小さな‘いのち’も、殺されるために生まれてきた命ではありません。そのことを「ハッ」と思い出させてくれた瞬間でした。
「皆さん方だって蚊に生まれたかもしれないのに」という、この命の感覚。私たちは、このような時代だからこそ、よくよく仏さまの み教えを聞かせていただき、いのちの感覚、いのちの見える眼(まなこ)を取りもどさなければいけない。そう思うのです。
以前、ネズミの子育てについての研究の本を読みました。それによると、ネズミは1度に10匹近く子を産むそうです。生まれた子ネズミは、当然ながら母ネズミに育てられますが、その際、母ネズミは重要な行動をするといわれます。それは子ネズミを舐め、毛繕いする行動だそうです。これは遺伝なのかと注目され、実験の結果、次のことがわかったそうです。
子ネズミの中には、母ネズミからあまり舐められず、愛されない子ネズミもいるそうです。その子ネズミは自分が成長して子どもを持ったとき、あまり子ネズミを舐めず可愛がらないそうです。また、よく舐める母ネズミから生まれた子ネズミを、生後すぐに、あまり舐めない、つまり愛さない別のネズミに育てさせると、その子ネズミは成長してから自分の子ネズミをあまり舐めないことがわかったそうです。また、その逆もあるそうです。つまり子どもの育て方は、遺伝ではなく、親の行動をみて、自分がされたことと同じ行動をするというのです。
さらに重要なことは、よく舐められて育った子ネズミは、ストレスや病気に強く、親が愛情をもって子どもを育てると、その子どもは大人になってから自分の子どもを愛情をもって育てるようになり、愛情をもって育てられた子ネズミは、ストレスや苦しみに耐えて挫折しない大人になるそうです。
これは決してネズミに限らず、人間にも言えることではないでしょうか。
この結果から考えると、家では両親、学校では先生、社会では大人の行動に重要な責任があり、勉強だけに感心を持つのではなく、周りの大人は普段から考えや行動を生活の中で教え示すことが大切だと言えます。
これをふまえ、自分の子育てを振り返ると、我が子が思うとおりにならない腹立たしさや葛藤もありますが、自分が歩んできた今までの行動の中に問題があったのではないかと反省させられます。
このことから私は懺悔と感謝の2つのことを感じます。今までの自分の子育てを含めた行動を考える時、そこには「おはずかしい」という言葉しかありませんし、また今の自分は両親のおかげで成長し育てられたことを思うと「おかげさま」としか言えません。
そして、この思いは日々のお念仏となり、私に届き、生かされていると受け取る世界がひらけます。
秋と言えばスポーツの季節です。私はスポーツは得意ではありませんが、見るのは好きです。その中でもよく見るのが野球です。よくテレビに向かい、「ここはカーブ、ここは送りバント」などと好きなことを言って見ています。私と同じようなことを言っている方も多いかも知れません。
さらにこの時期になると選手の今後も話題となります。みなさんもご存知のとおり、日本ハムの稲葉選手が引退を発表されました。若い頃には思うようにプレーできたのに歳とともにこれまで打てたボールに反応が遅れる、体が思うように反応できない。そして成績が残せなくなる。わずかな差がすべての世界です。どんなに輝かしい成績を残した選手でもかならずその時はやってきます。野球だけではなくプロスポーツ選手にとって「老い」ほどこわいものはないでしょう。
私たちはどうでしょう。プロスポーツ選手でもないのに、やはり「老い」は恐ろしいです。その証拠に、健康器具、健康食品のテレビCMを見ない日はありません。何がいったい効果があるのかわからないぐらいです。
たしかに若さや健康は大事ですが、いつかは力にならない時がきます。「老い」「病」そして「死」という身の事実を抱えているにもかかわらず、その現実から目をそらしているのではないでしょうか。
お釈迦さまは「老い」「病」「死」を抱えている自分自身ではなく、この身を支えてくださっている大きな「いのち」を拠りどころに生きているのですよ、と私たちに教えてくださいました。
この私は1人では生きられない存在です。その私がここにいるということは、目に見えないけど大きな「いのち」の世界が我が「いのち」の背景にあるからです。その大きな「いのち」を阿弥陀と言います。その大きな「いのち」の喚び声が「南無阿弥陀仏」となり私の「いのち」をあたたかく包み込んでくださっています。
一人ひとりが大きな「いのち」に支えられながら自らの「いのち」を生ききっていく、そういう人生を教えてくださったのが、お釈迦さまであり、親鸞さまでした。
お電話、ありがとうございました。
私たちの宗門の若きご門主さまが、初めて臨む宗会の開会式の教辞にて、現代を「同じ場所で代々生活し、仏事が家庭の中で受け継がれてきた時代とは異なる」と指摘され、「核家族化・人口の流動化・少子高齢化・過疎化といった地域社会の状況を一宗門で変えることはできず、近い将来、み教えを伝えることが困難になると予想されるお寺は少なくない。そのことは、浄土真宗の み教えと本山本願寺を次世代へ伝えていくことが難しくなったことを意味する」と危機感を示されました。
他方、「さまざまな悩みや苦しみを抱え、仏教に救いを求められている方は多い。宗門では多くの方へ み教えを伝えることが出来るよう、体制を改めた。今であればすでにお寺とご縁のある方はもとより、そうでない方への み教えを伝える取り組みが出来るのではないかと感じています」と述べられました。
「未来の住職塾」代表理事の松本紹圭氏は「今後10年で、お寺の参詣者および財源の3割減が見込まれる。現状のままでは8割のお寺は維持が困難」と指摘し、「何よりも住職・寺族の人柄が基本。危機感を持ち、情報の収集力と分析力、コミュニケーション力、熱意、共感力などの向上を」と呼びかけ、“仏教を伝える”よりも“仏教が伝わる環境を整える”へのシフトの転換が必要と説いています。
今後、私たちは、ますます困難な時代にあっても、相たずさえて、しっかり大地に根を下ろし、お念仏をよろこび、自信教人信の道に励んでまいりましょう。
お電話まことにありがとうございました。