l
慈光照護のもと、皆さまには健やかに、新年をお迎えのこととと、お慶び申し上げます。
昨年、2015年1月16日、第25代専如ご門主は、本山のご正忌報恩講法要ご満座後、「伝灯奉告法要についての消息」を発布されました。2016(平成28)年10月1日より2017(平成29)年5月31日まで10期80日間修行されます伝灯奉告法要に向けて、2015年10月21日、全教区への巡回と、直轄・直属寺院ご巡拝を始められました。
ご門主は、全国の僧侶・門信徒をはじめ多くの人々とご交流と法要の気運を高め、本願寺帯広別院には、2016年7月8日(金)にご巡拝になられます。多くのご門徒の方々のご参拝をお待ちしております。ご勝縁に遇わせていただき、「宗門の新たな第一歩としての異議を持つ」歩みを願っております。
ご門主さまはご消息に「迷いと苦悩を抱える私たちは、阿弥陀如来のお慈悲ひとすじにこの身をまかせ、真実のさとりの世界であるお浄土に生まれていくべき身にならせていただきます。」と仰せられております。「摂取して捨てたまわず」という阿弥陀さまの光の中で生きていく私たちは、念仏するままが阿弥陀さまのはたらきのど真ん中にいるのです。人生の方向が定まり、お浄土に向かって力強く歩み続けるのです。
真実信心の行人は、摂取不捨(せっしゅふしゃ)のゆゑ(え)に正定聚(しょうじょうじゅ)の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎(らいこう)たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。(親鸞聖人 御消息 註釈版 p.735)
真実の信心を得た人は、阿弥陀仏が摂(おさ)めとってお捨てにならないので正定聚の位に定まっています。だから、臨終の時まで待つ必要もありませんし、来迎をたよりにする必要もありません。信心が定まるそのときに往生もまた定まるのです。(現代語版 p.4)
今ここで仏さまにならせていただく身となる道を歩むのです。
浄土真宗は臨終来迎(りんじゅう-らいこう)の教えではありません。いのち終わる時お迎えはいらないのです。お迎えがいらないのは今阿弥陀さまと一緒だからです。阿弥陀さまと一緒でない人はお迎えが必要でしょう。臨終来迎に対して平生業成(へいぜい-ごうじょう)の教えです。今ここで、仏さまにならせていただく身となる教えです。いつでもどこにおってもいつも私と一緒にいて、どんなものをも救う仏さまがおられる。「弥陀をたのむ」「弥陀に帰命(きみょう)する」という阿弥陀仏の願力をたのみにし、「まかせよ、必ず救う」の喚(よ)び声に信順することであります。
お浄土に生まれさせていただく身に今ならせていただく道を歩む。
新年にあたり、心あらたにし、「おかげさま」と仏恩報謝(ぶっとん-ほうしゃ)の道を歩みましょう。
最近のACジャパン(公共広告機構)のコマーシャルで、大変心に残るものがありました。皆様もご覧になったことがあると思います。「セトモノ」という相田みつをさんの詩を、女優の吹石一恵さんが朗読しているコマーシャルです。
セトモノとセトモノと
ぶつかりっこすると すぐこわれちゃう
どっちか やわらかければ だいじょうぶ
やわらかい こころを もちましょう
そういうわたしは いつもセトモノ
このような「詩」です。
固い心のもの同士がぶつかり合うと、すぐに壊れてしまう。どちらかが柔らかい心なら壊れないのに……。だから「やわらかい こころを もちましょう」という。たしかにその通りですが、これは私の「理想」です。
でも本心では、
と、相手を責め立てる心でいっぱいなのです。
このような私の「頑(かたく)なな心」こそが正(まさ)しく「セトモノ」そのものなのです。
しかし、このような「気づき」は、私たち人間の側からは決して出てきません。なぜなら、私たちの心は「いつも自分が正しく」て、「いつも相手が間違っている」という心だからです。
そのような自己中心的な私たちの心に、「目覚めよ! 気付けよ! 身のほど知れよ!」と真実の世界から働きかけてくるのが南無阿弥陀仏のハタラキなのです。
道徳の話なら 「やわらかい こころを もちましょう」 で、正しいのです。しかし、道徳、つまり「人間の正しさ」からは最期の一行の言葉は決して出てこないのです。
何か、この一言に救われる気がいたします。仏さまの み教えとの出遇いの中に、仏法を鏡とし、自らがそれに照らし出され気づかされた、私自身の姿そのものです。
本当の「やわらかい こころ」とは一体なんでしょう? それは
「私こそがセトモノでありました!」
と気付かせていただく心こそが、本当の「やわらかい こころ」ではないでしょうか。
「立派な人間になりなさい」 というのが、南無阿弥陀仏の み教えではありません。南無阿弥陀仏のハタラキは、むしろ愚かな私を照らし出してくださる、自分勝手な私に気づかせていただくことなのです。
お念仏を申す人生の中で、頑なな心である「セトモノのわたし」に出遇わせていただき、お恥ずかしいと頭が下がる日々(にちにち)を送らせていただく。そこにこそ 「やわらかい こころ」 に育まれた人生がはじまるのではないでしょうか。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは言われますが、北国にもようやく遅い春が来たようです。お彼岸が過ぎますと、私ごとですが、還暦を迎えます。もちろん、還暦になったからといって、お寺の住職は退職しませんが、まわりでは同級生の退職話が増え、まさしく第二の人生のスタート台に立っているのかもしれません。
最近では、「老人」という言葉は使わないで、「高齢者」と言われるようになりました。しかしながら、どのように呼ばれようと、どう老いを自分の身に受け入れて、どう生きるかということは、それまでに培われてきた、その人なりの人生観を表しているのではないでしょうか。人間の豊かさは、老人が何をどれだけ持っているかではなく、その老人がどういう姿で生きてるかにつきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、「老人の欠乏を補うに足るものを青年時代に獲得しておきなさい」と言っています。老いてから栄養不足にならないように、若いときから蓄えが必要です。
お釈迦様の求道のテーマは、逃れがたい生老病死(しょうろうびょうし)の苦悩と不安でした。若かった人にも老いは確実にしのび寄ってきます。わが身が老醜をさらすようになるかもしれません。わが身が引き受けていかなければならないのです。でも、その苦悩こそが、仏性(ぶっしょう)を開かせ、わが身を磨いてくれるのです。老人の美しさは、まさしく内なるものが外ににじみ出てきたものです。
親鸞聖人のご和讃に「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき」とあります。本願力に遇うと、生老病死の前に立ちすくむことなく、現実を受け止めながらも、自分の人生として歩むことができるのです。すべてが自分の一生なのです。仏様に支えられながら、空しく過ぎない人生を歩ませていただきましょう。
浄土真宗門徒の基本のおつとめは、「正信念仏偈」(しょうしんねんぶつげ)、略して「正信偈」(しょうしんげ)ですね。その「正信偈」の中で、親鸞聖人は、「摂取心光常照護」(せっしゅしんこうじょうしょうご)、「摂取の心光、常に照護したまう」、と詠んでいらっしゃいます。「摂取」(せっしゅ)とは「おさめとる」こと、つまり阿弥陀如来が私たちを救い取ってくださることです。その「摂取」は「心光」(しんこう)、心の光と書きますが、その「心光」によってもたらされる救いだと聖人はおっしゃいます。
「心光」とは、阿弥陀如来の大慈悲心にもとづく光です。
「光」は仏さまの「智慧」のはたらきのことをいいます。私どもは、いつも自分の思いにこだわり続けているので、本当のことが見えておらず、ものの道理がわかっていません。つまり「無知」なのです。しかも、道理がわかっていないのに、わかっていると思い込んでいます。つまり、わかっていないこと自体が、実はわかっていないのです。
そのような心は、真っ暗闇のようだと譬(たと)えられます。そして、暗闇を暗闇でなくするもの、それが「光」です。「光」のはたらきを受けて、私どもの心は照らし出されます。心の暗闇を破ってくださるのが仏さまの「智慧の光」なのです。
「摂取の心光」、すなわち阿弥陀如来の大慈悲心にもとづく智慧の光は、「常照護」(じょうしょうご)、すなわち「常に照護したまう」光です。いつも私たちの身と心を包んで照らし、私たちを護ろうとしてくださっているのです。
親鸞聖人は、阿弥陀如来の大慈悲心の心が、常に照護してくださっているという事実にお気づきになり、私たちが自分の思いばかりを最優先させるあり方に埋没していること、そしてその思いは、実は「思い込み」・「思い違い」でしかないことを気づかしめんとするのが阿弥陀如来の光のはたらきであることをご教示くださっていると思われるのです。
桜の花もこぶしの花もチューリップも咲き、藤の花がふくらんできて、カッコウの初鳴きを楽しみにする、今年も運動会の開催される季節になりました。子どもたちの元気な声がもうすぐ響き渡ることでしょう。新一年生もワクワクしながらその日を迎えます。一日中汗まみれになって過ごし、運動会の閉会式が終わると、子どもたちは先生の挨拶が終わるやいなや、勢いよく走りだし「お母さん!」「お父さん!」と大きな声を上げながら、家族のところへ脇目も振らずに一直線で向かうことでしょう。どの子の顔も満面の笑顔です。そしてどの子も安心した様子で家族の待つ場所へ戻ることでしょう。
走っていく方向を間違える子どもは一人もいません。運動会の最中でも、親や家族からの声援に手を振って応え、向けられたカメラにピースサインをする子もいることでしょう。たくさんの人々の中から自分の親や家族の声や顔を聞き間違えることも、見間違えることもなく、その居場所を見つけ出すことができるのです。自分の親や家族を間違えない子どもがすごいのでしょうか。
ところで「お母さん」「お父さん」と呼び始めたのはいつ頃からでしょうか。身近にいた人を自分が勝手に親と決めつけ、親と呼び始めたわけではないはずです。それは「私があなたのお母さんだよ」「私があなたのお父さんだよ」という、親から我が子に向けての「名のり」から始まることでしょう。
また、この「名のり」は、子どもにとって、声をかけている人がどんな存在なのかをも知らせているのです。そして、早く私の名を、お母さん・お父さんと呼んでほしいという思いをもって呼びかけ続けるのです。この呼びかけはいつも我が子を慈しみ、名を呼ばれればすぐに寄り添い、不安な思いをさせることはないという親心で満ちあふれています。
子どもが親を間違えることがないのは、この親心のおかげであり、子どもの口から出た「お母さん」「お父さん」の一言は、両親の思いが確かに我が子に届いているのです。
しかし、親心や親の名の意味を理解してから、子どもが呼び初めているのでしょうか。
はっきりと発音できなくても、声にならない声であっても、目の前に姿を見ることができなくても、その子を呼ぶ、その親を呼ぶたった一言が、不思議な安心感を与えてくれるのです。
『拝読 浄土真宗の み教え』の中に、「浄土真宗の救いのよろこび」という、浄土真宗の救い、信心のよろこびを表す文章があります。そのはじめには、
阿弥陀如来の本願は
かならず救う まかせよと
南無阿弥陀仏の み名となり
たえず私に よびかけます
とあります。
「南無阿弥陀仏」の六字は私への呼び声であり、また、どんな存在であるのかを名のり知らせる声です。
「あなたを必ず救う、安心してまかせてほしい」という阿弥陀さまの本願(誓いと願い)がこの南無阿弥陀仏の六字に仕上げられたのです。親がわが子を思うように、阿弥陀さまは私をわが子であると慈しんでくださる「おやさま」なのです。
私の方から阿弥陀さまに向け、その救いを求めたからではなく、先に阿弥陀さまの方から私に向け「必ず救う、われにまかせよ」と呼びかけられていたのです。
阿弥陀さまという仏にまかせよという六字を、そのままに受け入れることが浄土真宗の「まかす」ということであり、その名を称える声や、合掌する姿となって現れ出てくださるのです。
それは阿弥陀さまの本願が私の上に届き、まさしく今ここではたらいているすがたであり、すべて南無阿弥陀仏のひとりばたらきなのです。
先日、新聞に昔なつかしい友人の名を見つけました。それは悲しいことですが、死亡広告の欄にありました。行年50歳。あまりにも早い旅立ちでした。
よく月忌参りなどに伺い、一緒におつとめをした後、家の方とお話をさせていただく時、この死亡広告の亡くなった方の年齢とご自分の歳を比べ「上だ」「下だ」、「自分もそろそろ」などと聞かされることがあります。
そんな時は、「命に終わりがあるのは誰にも避けようがないことです。ですから今を大切に、そして、ゆっくり…」などと話してきていました。
僧侶という職業柄、多くの方々の悲しいお別れにあうことですが、その時々、あの人・この人と区別することなく、常に真摯に向き合い、寄り添っていたつもりでした。しかし自分と同じ年齢、しかも昔ながらの友人となると、特別な思いがこみ上げて来たのが正直な思いです。幼い頃から共に遊び、勉強や部活に励みと、たくさんの思い出がまさに走馬燈のように駆け巡りました。彼自身も、突然の別れに、まだ幼い子や家族を残してゆく無念の思いもあったでしょう。互いに社会人になり会う機会も減り、いつでも会えるからと思い蔑ろにした30数年。もっと会って話しておけばよかったと後悔もさせられました。人には「今を大切に」などと言っておきながら自分は何も出来ていなかった、していなかったと、厳しい現実を痛切に突きつけられました。
でも、この別れはただ悲しいだけだったり、自分の至らなさを教えられるだけではありませんでした。
それは、人は亡くなると仏さまとなり私たちを導いてくださるという、仏法そのことを改めて私に気づかせる尊いご縁でもありました。ありがたいことです。
終わりに、私は友の死によって知らされたこの気づきを大切に心に残し、これからの人生を歩んでゆこう、そして、今度帰省する時は白衣・布袍に着替え、会えなかった友の仏前におつとめしてこよう、そう思っています。